見えなくてもおしゃれ?! 1


盲学校の量に入ったのは20代後半。

当時は私のような中途障碍者はほとんどいなくて、皆小さいころから盲学校で寮生活
をしていた人がほとんどでした。

普段は寮と学校との往復しかしていなかったので、学校で買わされたジャージを着て
過ごしていました。

授業料より高いジャージを着ないのはもったいなかったからです。

他の生徒たちは皆普通の私腹を着ていました。

ほとんどの子は年相応の格好をしていたのですが、子供なのに明らかにお母さんのお
古なんじゃないか、このコーディネートはないんじゃないかみたいな子もいました。

ある日、私が外出しようとしたら、寮母さんに呼び止められて「着ているものが派手
なんじゃないか」と言われました。

、外に行くときはさすがにジャージではなく私腹を着ていくのですが、普通の20代く
らいの人が着るような、特に目立ったブランド品なんかを着ているわけではありませ
ん。

いやいや、指摘するのはそっちじゃなくて服の着方やコーディネートがヤバい子の方
だろう!

見えない上に親兄弟が近くにいない状況で最低限の「見た目」について教えるのは寮
母の仕事だろう。

派手な方はどうでもいいんじゃなかろうか。

その後、私は学校と寮ではジャージ、寒いと袢纏を着て通学していました。

いつ、「授業を受けるのに袢纏はちょっと・・」と寮母から言われるか楽しみにして
いたのですが、結局誰からも注意されることなく、卒業するまで袢纏通学をしていま
した。

「こいつは外に出るときは普通の服を着ているからTPOはわかっているヤツなんだ」
と認定されていての見て見ぬふりだったのか、それとも変な分にはスルーだったのか
今になってはわかりません。


盲学校を卒業してから、劇団の芝居を見に行きました。

そこは視覚障碍者に前の方の席を取ってくれていた劇団で、ある日どこかの視覚障碍
者の施設の人たちが招待されて芝居を見に来ていました。

その人たちが芝居を見に来るというのに皆揃って部屋着みたいな服を着ていました。

施設なんだから見える職員とかガイドヘルパーとかいたはずだけど、彼ら、彼女らは
一体何を考えていたのだろうか。

当時に比べると私ももうほとんど見えなくなり、洋服を選ぶ楽しみなんかはほとんど
なくなってしまいました。

だから今やユニクロ無印ラインの、着やすい、動きやすい、そこそこおしゃれで無難
な路線で落ち着いています。

でも世の中はとりあえず見た目である。

あまりにTPOを度外視すると社会的信用を失います。

この色とこの色は合わない。柄物を上下合わせないなどという基本的な事は知ってい
た方がいいし、コンサートや芝居には部屋着では行かないというような事も知ってい
た方がいいと思いました。

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