ある日の会話

もう少し、人を疑う事を覚えた方がいいと友が言う。
普通、人は自分のテリトリー内に中々「他人」を入れることは少ないのだとも忠告してもらった事があった。

私は生まれおちてから今まで、何も所有しておらず、私のテリトリーがどこにあるかさえもわからない。
よくよく考えてみれば、何一つ、自分のものなぞ持っていないのだ。。。

それがあるとすれば、私にとってそれは相手と分かち合うものであり、時が与えてくれるものであり、いつのまにか消えてなくなってしまうかげろうの様なもの。

一体、普遍的なものなど、人は持つことが出来るのだろうか?
死んだとき、それらは持っていけるのだろうか?

「モノ」はいずれは皆、消え去る宿命をもっている。経験や思い出を除いて。
私にとって相手を「受け入れる」という事は、裏切りや、嫌われてしまう事等もすべて想定内で、例えそうなったとしてもかまわない、自分は好きでいられる、と思えるという事なので、何を言われても、されても、もう若い時ほど気にならなくなった。

嫌う権利が相手にはあるのだから。

SNSの世界はとても魅力的だ。

しかし、そこは社会の縮図でもあり、人間の残酷さ、美しさを、時には現実よりもくっきりと映し出す鏡になる。

アバターを通して言えることもあるだろう。
しかし、その向こうには確実に「生身」の人間が居る。

それをこれからも忘れずいたいと切に思う。