狭間から見えるもの

大好きなブロガーさんの記事でこんな言葉を見つけた。

 「内的準拠枠」

  個人は絶えず変化している経験の世界に存在し、
  その経験の世界を独自に意味付けした世界の中心に住んでいる。

今までの自分が体験してきた事や、その中で意味づけしたことが、本人の行動や思考の基になり、ものの見方になる。そして、それが自分にとっての「現実」になるということだそうだ。

同じ曲を聴いても、悲しい過去を思い出して涙を流す人もいれば、うっとりと美しい風景を思い出し身をゆだねる人もいる。
イライラとなる人もいれば、想像の世界へ漕ぎだしていく人もいる。
どれも現実であって、本人にとっては事実となるのだとか。

だから、日々の中で、起こった現象がどうこうというより、そこから自分がどう思考し、感じるかで 現実が変わってゆく。

自分の思いが繰り出す世界に 私たちは生きている。
ただ、自分の中で正しいと思っていることが、この人の世界の中では正しくはないということ。
人それぞれの事実があり、現実があるということ。
みな、己の内側と向き合って、それぞれの世界を創造しているから。
かといって、自分の世界を否定することはないということ。

内側から感じ取ってお互い理解し合う事がとても大切なのかもしれないと彼女は言う。余分なことはのぞいて、ただ素直に、と。
出逢って惹かれる人の内側と外の世界がとても気になるのはそういう事なのかもしれない。
その人の内側と外の世界の狭間に立って、思わずのぞきたくなる世界が待ってるような気がして・・・

私の中には美しい世界があるだろうか?
あの人の世界はどんな世界だろう?