所詮。最後に行き着くところの意。
元々は仏語で、所詮は経典などによって説かれる内容を表し、これに対し能詮は経典などによって説かれる意義を表す言語らしい。
内容、最後に残るは本質?仏教は本質探求のイメージがあるけど、ということで事情や経緯の結論「つまり」という意味に変わったそうだ。
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