大声でリトルトゥースを宣言する
「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」を観るまで、
そろそろリトルトゥースは卒業かな、と思っていた。
理由は「オードリーのオールナイトニッポンがメジャーになり過ぎた」ということだ。
僕は中学の頃から深夜ラジオが好きなのだが、
その好きな理由の一つが内輪ノリである。
パーソナリティも、リスナーも、「どうせ誰も聴いていないんだから」的なノリで、
どうしようもないこと、しょうもないことを、
あーでもない、こーでもないと笑い合う空間が好きだった。
クラスの他の人は誰も聴いていないけど、自分だけが知っている面白い世界がある。
その事実だけで僕は生きていけた。
「オードリーのオールナイトニッポン」でも、
リスナーを指す「リトルトゥース」という言葉を、
そしてラスタカラーのTシャツを「だせぇな!」と思いながら、
仲間である象徴のように誇らしく思っていた。
でも、コロナ以降ラジオの人気が高まるにつれて、
「リトルトゥース」という言葉がダサくなくなって、
深夜ラジオが数あるエンタメの一ジャンルとしてちゃんと認められるようになった。
もう、誰も聴いていないコンテンツではなくなった。
僕の好きなその世界は、いつの間にかもう自分だけの世界ではなくて、
大エンタメになっていた。
発言はいちいちネットニュースになり、
街を歩けばリトルトゥースがいる、そんな時代になってしまった。
というか、いつの間にかスポンサーがめちゃくちゃ多くなってる。
もうみんな知ってる場所じゃん!
でも、東京ドームライブは、僕が夢中になった「内輪ノリ」だった。
「おともだち」のウェルカムムービー。
僕には中高生のころから同じラジオを聴く友達がいたわけではないけれど、
仲良くなったり、疎遠になったり、熱中したり、少し冷めたり、
僕にとっての「おともだち」はラジオそのものだったのかもしれない。
普段泣くことなど皆無なのに、ウェルカムムービーの最後には泣いてしまっていた。
まあ、直後のフィールドオブドリームスパロディのおかげで、涙がこぼれることはなかったのだけれど。
特にプロレスファンの僕にとっては、
「春日VSフワちゃんプロレス対決」は内輪ノリのオンパレードで、とにかくサイコーだった。
矢継ぎ早に織り交ぜるプロレスパロディ。
文脈なんて関係なくめちゃくちゃで、全部気づけていたかは怪しいけど、
やりたい放題さに深夜ラジオを感じた。
周りの人はその凄さに全然気づいていなかったけど、
田中ケロが出てきたときは腰を抜かすかと思いました。
DJ WAKAのDJタイム。
僕の前にはお父さんと中学生くらいの娘の親子が座っていたのだけれど、
「スペーストルネードオナニー」の連打をどんな顔で観ていたのだろうか。
星野源さんとの「LIGHT HOUSE」は、たぶん今の僕にはまだ早くて、5年後くらいに必要になると思ったから、まだ観ていない。
「LIGHT HOUSE」を観るまでの5年くらいが少し楽しみになってきた。
とにかく3時間半、情報量が多くて、二週間経とうかという今でもかみ砕けていないこともあるけれど、あっという間だった。
開演直前、トイレに行こうとしたのに人が多すぎて断念したけど、
終演まで全く気にならないほど夢中になっていた。
結局、オードリーは、ラジオは、何も変わっていなかった。それに気づくことができただけで僕にとって意味のある時間だった。
勝手に寂しくなって、勝手に居場所がなくなったように感じて。
でもそれは全部自分のスタンス次第だった。
「リトルトゥース」を照れながら言うのも、
ラスタカラーをダサく感じるのも、自分のとらえ方次第で、
東京ドームライブのおかげで心の痞えが外れたように感じる。
東京ドームライブの翌日、
別の席でライブを見ていた友人とオードリーの脱出ゲームに参加しに、再び東京ドームに行った。
一夜明けた東京ドームは既に「オードリー」仕様ではなくなって、
BAD HOPのライブ会場になっていた。
前日とは全く違う人たちが溢れながらも、結構な頻度ですれ違う(平日にもかかわらず)リトルトゥースたちに心の中で「トゥース」と言いながら、
勝手に「おともだち」気分だった。
勿論、嗜好品の味玉付きのラーメンも食べた。
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