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偉大なる先駆者。
自分は言語化というのがどうも苦手だ。
別に国語の成績が悪かった訳ではないのだが、文章にしようとするととっ散らかり、人との会話でも何を喋るか考えている間にどんどん進んでしまう場合もある。
とりわけ、自分が好きなこと…
特に音楽に対して自分が評価をするなんて烏滸がましいにも程があると思い、Twitter(現:X)にせいぜい「良い」とか「好き」といった最低限の感想を垂れ流す程度に留めていた。
まあ、苦手なものでなければ大体「美味い美味い」と食べてしまうような人間なので、考える事をあまりしてこなかったと云った方が正しい気もする。
一方で、ただ「良い」とか「好き」とか「美味い」では、何をどう感じてその感情に至ったのか分からない事が多く、例えば好きなバンドの新譜の何が良かったのかを人に説明するのが難しくなる。
……しかし、そのままではモヤモヤする。
そうなった際は他の人のレビューを参照し、見て自分が抱いた感情と繋ぎ合わせて言語化する……要は切って貼ったものをあたかも自分の言葉のように消化するのだ。
おお、ミナトヤケイよ。
何と浅ましく情けない。
かと言って「好き好き大好き」のパッションだけでプレゼンテーションが上手くいく程、世の中そんなに甘くないハズ。多分。
前置きが長くなりました。
ここで一度自分が好きなバンドやアーティストの何が好きなのか、 分析をしつつ自分の言葉と考えで記していこうと思い、長年放置していたnoteを開いた次第です。
で、第一弾。
paint in watercolour / VELOCITY
国産初期、というか日本初のシューゲイザーと評されるpaint in watercolour
そして、1993年リリースのセカンド・アルバムがこの「VELOCITY」
ファーストの「UNKNOWN」は全曲英語詞で、曲調も当時のシューゲイザームーブメントをバリバリに踏襲した内容になっていたけど、この「VELOCITY」ではキラキラとしたノイズ混じりの音像はそのままに日本語詞になっているのが特徴。
ただ時代が早すぎたのか、市場に需要が無かったのか、あまり多くない情報を色々統合するとそんなに売れていた感じはしない。
このバンドが語られている記事を見ると、だいたい「不遇」とかそんな形容詞が付いている。
シューゲイザーバンドとしては「UNKNOWN」の方が純度が高いだろう。
シューゲイザーを語る上で絶対に外せないMy Bloody Valentineの「LOVELESS」がリリースされたのが91年の11月。
「UNKNOWN」は翌92年7月だからシーンとしてはまだその熱が残っている頃。
実際どうだったのかは分からないけど、フリッパーズ・ギターもシューゲイザーを持ち込んでいたんだし、日本でも熱心な音楽ファン……特に渋谷系と言われていた方々なら聴き込んでいても不思議はない。
ただ、自分は「UNKNOWN」よりも「VELOCITY」の方を評価している。
遠い異国から流れ着いたシューゲイザーという一見しただけでは訳の分からないギターロックを自分達の物にしてやろう、日本の音楽シーンで生き残ってやろうと闘った痕をより強く感じられるのが「VELOCITY」だからだ。
シューゲイザーというと、現代でも割とそうだけど「スロー〜ミドルテンポで、多数の歪みや空間系エフェクターを駆使して音の壁を作り、如何にしてリスナー達に陶酔感を与えられるか」的なのがテンプレートになっている(と個人的に思っている)。
時折ダンサンブルな感じのやつを挟んでやれば尚良し、みたいな。
paint in watercolourにもそういう曲はある。
「UNKNOWN」の1曲目「the sweetest suger」とかは特にそう。
曲名も相まって分かりやすくシューゲイザーしている。テンポは早めだけど。
ただ、そういう如何にもシューゲイザーな曲って最初は「凄い!」となるけど、聴いている内に退屈になってしまうことが少なからずある。
轟音に慣れてしまったからか、曲の展開が少ないからかは分からないけど、何度も聴いているのはよほどシューゲイザーに取り憑かれたリスナーか、「この音はどうやって出しているのだろう」と研究に余念が無いオタクギタリストくらいだろう(ド偏見)。
そもそもの話、シューゲイザーやってるからって皆が皆ケヴィン・シールズになりたいわけじゃない。
だからと言って、アンディ・ベルやイアン・マスターズになりたいわけでもない。
野球やってるからって皆がイチローや大谷翔平を目指しているわけでもないし、シビックに乗っているからって全員がシャコタン直管ストレートにして大阪環状線や鈴鹿の東コースを走り回るわけでもないのと同じように。
そういった点で、「VELOCITY」では自分たちのスタイルをなるべく変えずに、どうやったら日本のリスナーにも受け入れられるようにするか、ものすごく試行錯誤したのだろうなと勝手に思っている。
彼らが元々UKロックっぽいのが好きなのかもしれないけど、シューゲイザー後のブリットポップ要素も取り入れつつ、日本のバンドの中にも馴染むような音楽を目指した……個人的にそんな印象がある。
正直、ブリットポップはあんまり明るくないけど、3曲目からの「MARE」「GANG UP ON」「POPULARITY」の流れはただシューゲイザーを追っただけではないポップさがある。
それと全体的に、幼少期にラジオやカーステレオから流れていた曲のような懐かしさもあって。
93年リリースなのだから当たり前っちゃ当たり前なのだけど、ちゃんと聴けたのはサブスクが解禁されたここ数年の話。
それでも懐かしさを感じるのは、音作りとかミックスの仕方が当時の邦楽っぽいからなのだろうな……と。
「UNKNOWN」にも当時の邦楽っぽさは感じるけど、「VELOCITY」の方がそれがより顕著。
洋楽っぽくするならもっと乾いた感じというか、デッドなミックスにするだろうし。
要するに、シューゲイザーバンドとして如何に当時の「普遍的」に近付けられるか。
良くも悪くも在り来りなシューゲイザーバンドに留まる事なく、自分達なりの解釈や当時の音楽シーンというフィルターを通した結果がこの「VELOCITY」だとすれば……。
そんな所に魅力を感じてしまうのだ。
自分も一応シューゲイザーを基盤とした音楽を作って発表している身としては、彼らのサウンドは大変参考になる。
今ほど機材の選択肢や情報が無かった中でよくぞここまで作り上げたと、それだけでも敬意を表したい。
「UNKNOWN」より「VELOCITY」の方を聴いてしまうのは自身も作り手故の結果かもしれないけど、ただ洋楽を追うだけではない日本的なシューゲイザーという点でも、この作品はもっと評価されても良い……そんな風に考えている。
ところで、抗ったんだろうな……と感じる一番の理由がコレ。本人達が投稿している「VELOCITY」リリース前年のライブ映像。
「VELOCITY」の9曲目「DISTINCTION」で始まるのだけど、この時はまだ英語詞でメロディもちょっと違う。
メジャーで音源を出している以上は事務所の方針もあるし、売れなかったら解雇されるだろう。
もしかしたら上から「英語じゃ売れないから日本語で歌詞書け!」なんて言われたのかもしれないし、もしくは「何としても生き残ってやるぞ!」という彼らの挑戦だったのかもしれない。
そればっかりは分からない。
偉大なる先駆者。
paint in watercolour
Instagramを見ているとたまにスタジオ入ったりしているみたいだし、是非とも今現在のシューゲイザーに対する彼らなりの解釈を音源として聴きたい。
勉強させていただきます。