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【妄想語り】永田敬介さんの厳しさと優しさについて

永田さんは、老若男女分け隔てなく厳しいなと感じることがあります。

『絶望ラジオ』でリスナーのレターに対応される姿を見ていると、基本的には優しい方だと思います。とても丁寧に人に向き合い、全てをフラットに受けとめる姿勢には、最近、よく耳にする「多様性」を尊重する精神を感じます。様々な絶望を吐き出すリスナーの言葉に、「そうだね」「わかるよ」「よく話してくれた」と淡々と応える永田さんの声を聞いているだけでも、私の心は癒されています。

しかし、なんでもかんでも受け入れて、口当たりの良い言葉で肯定するわけではありません。「嫌だな」「嫌いだな」という言葉も「好きだな」と同じくらい素直に頻繁に使われている印象です。そして、俯瞰して様々な角度から検討した上で、「受け入れられない」と判断された発言については、女だから子供だからといって容赦せず、真っ直ぐに否定します。「これはダメだ」「この部分はおかしいだろ」とハッキリと言葉にします。

その厳しさは、ひょっとしたら、人の心を傷つけるのかもしれません。でも、私は、そんな永田さんの姿を見るたびに、いいなと思います。不完全な世界や、決して完璧ではない人間に、真っ直ぐに、誠実に、対峙しているからこそ、そのような厳しい言葉が出てくるのだろうと考えるからです。

それは、あくまで、「部分否定」であって、その人のトータルの人格まで否定するものではありません。否定するのは、その発言の良くないところであって、その人の生までをも、完全に否定することはないように思います。根底には、人間への愛がある気がして、厳しい言葉の中にも、救いを感じたりします。

10年ほど前にスパナペンチを解散してから、つい最近まで、永田さんは、様々な不条理に晒されてきたと聞いています。その概要は、『絶望ラジオ』、YouTube喋りそして漫談などを通して、うかがい知ることができます。

永田さんが芸人人生の中で経験したジェットコースターのような浮き沈みや、恨みや怒りや憎しみについて、私は、永田さんの言葉を受けとめて、自分が想像できる範囲でしか理解はできません。でも、多かれ少なかれ、人は誰でも、生きている以上は、なんらかの不条理に晒されて、絶望を感じるものだと思っています。そういう意味では、永田さんの負の感情は、多くの人に共有される普遍性を含むものであると考えられます。少なくとも私は、永田さんに日々、共感させられていますし、『絶望ラジオ』の人気も、そういうところから来ているのかなと思います。

そんな負の感情も、永田さんは、大切な自分の一部として、とても丁寧に取り扱っているように思います。たとえば「死ね」というような激しい言葉を使うことがあります。「そんなことを言うべきではない」という意見もあると思うのですが、永田さんはそれも分かった上で、その言葉を覚悟をもって使われているという印象を受けます。人を言葉で殴れば殴り返されるかもしれない。ブーメランのように自分の言葉が自分を刺すかもしれない。それでも自分はここでその言葉を使う。私は、永田さんのそんな自分自身と言葉への真摯な向き合い方が、とても好きです。

みんなそうだと思うのですが、自分の中に負の感情が存在しているのに、誤魔化して、それが存在していないことにしてしまったら、それは亡霊のように祟り、結局は、自分も他人も傷つけてしまう結果になりがちです。少なくとも、私には、そういう面がありました。まずはその負の感情が、自分の中にあることを認めてあげた上で、それを抱えたまま、どうやって現実と折り合いをつけて生きていくのか、というのが、完璧ではない人間による、凸凹な生き方な気がしています。

その折り合いの付け方の一つが創作なのでしょう。永田さんの負の感情は、エピソードトークや漫談やコントとして表現されることにより輝き始め、客を笑わせて感動させます。それは、永田さんに負の感情を抱かせた人が、犯した罪の禊であるかのように私には感じられます。永田さんの言葉に爆発させられた劇場いっぱいの笑い声とともに、喋る永田さんも、ネタにされた人も、観客も、全員の魂が救済されていくようなイメージを抱かされます。

以上に書いたことは、あくまで永田さんの表現者としての振る舞いを客席から見ていて感じたことであり、実像はまた異なるのだろうと思っています。

事務所の後輩や同年代の芸人さんが語る永田さんは、とても面倒見がよく、色んな人から慕われているようです。トンツカタンの森本さんは、YouTubeで、永田さんのことを「人力舎の太陽」と語っておられました。

こうして、実像にわずかに触れるだけでも、客席から見ている「永田敬介」が全てではないのだという当たり前のことを再認識させられます。

永田さんに、何かを背負わせるのでなく、幻想を押し付けるのでもなく、ただ、見せてもらったもの、聞かせてもらったものを素直に受けとめて、笑って、元気になって、私は私の現実を生きていかなければと思います。

以上、妄想語りでした。