良き客でありたい

小島慶子さんの「推し」という言葉をテーマにした対談記事が話題になっている。

私も昨年の秋にこの言葉に盛大に躓いたので、この記事を、とても興味深く読んだけれども、彼女の「躊躇」には、あまり共感ができなかった。

好きな芸能人に「好き」と言うことで得られる満足感に浸る自分を俯瞰したときに、ああ生身の人間を消費させていただいてるなぁと、申し訳なさを感じることは今でもある。

でも、思考をぐるぐるとさせるうちに、結局どこまでいっても、私は「客」でしかないから、何をどうしても「消費」しかできないからね、という結論に落ち着く。そして、せめて、私は「良き客」でありたい!という思いを上書きする。

何度も何度も何度もこれを塗り重ねていって、いつかは「申し訳ないと言っている自分」を、密かに気持ちよがるような、こんな気色悪い精神を滅したいと思う。

そして、大好きな人たちが売ってくれる夢を健やかに消費するとともに、向こう側の世界に生きる生身の人間に対する想像力を鍛え上げて、「ちょうど良く」思いやれるようになりたい。