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2022年12月23日の自分語り

この記事を書いている時に思い出して、過去にNHKさんに送った、阿佐ヶ谷アパートメントの番組感想の下書きを、iPhoneのメモ帳の中から掘りおこしてきました。

6月30日の阿佐ヶ谷アパートメント大変楽しく拝見しました。阿佐ヶ谷姉妹が「〇〇さんどうですか〜?」「そうね」「そうなのかしら」「あら〜」と肯定も否定もせずにふんわり受け止めることで、バラバラな住人たちが、あーでもないこーでもないと好きなことを言いあう雰囲気が自然と生まれていたように思います。のびのびとした空気感が心地よく、いつまでも見ていたくなりました。そんな阿佐ヶ谷姉妹を真ん中に置きつつ、横で若いEXITが自然な感じでトークを回しながら、共生社会についてのしっかりしたコメントを入れていくのも良かったです。ベストマッチと感じました。こだわりいっぱいのセットもとても素敵でした。立派なものですし一回きりでは勿体ないです。ぜひ、レギュラー化していただけばと思います。よろしくお願いします。

自分のiPhoneのメモ帳から

特番として2021年の春頃に放送された初回の後に、NHKさんへ送ったメッセージです。この当時は、レギュラー化はまだ「夢」であったけれども、その「夢」は見事に叶ったわけです

阿佐ヶ谷姉妹さんは、その後も、たくさんの「夢」を生み出し、次々と叶え続けてくれています。そして、そんな阿佐ヶ谷姉妹さんを「推し」ていると、自分は何もしていなくても「達成感」が擬似的に得られるため、私はこの3年間、夢中になって、阿佐ヶ谷姉妹さんを「推し」てきました。

でも、それは、私自身の達成した「夢」ではないのです。
そんな当たり前のことに、ようやく気づき、「推す」という言葉から距離をとることにしたのが、今年の9月のことでした。

以降、私は、大好きな阿佐ヶ谷姉妹さんが「夢」を叶え続ける姿を見て思慕や憧れを口にするだけでなく、私自身はどんな「夢」を描くのか、残りの人生をどんな風に生きたいのかを考えてきました。

私は27歳の時に大学院をやめて就職をしました。子どもの頃から、見たり聞いたり調べたり考えたり書いたりすることは好きでしたが、アカデミックの世界に馴染めず、将来も全く見えなかったため、普通に働いて生計を立てながら、好きなことを書き散らかす人生を送ろうと考えたのです。でも、結局、年に数回、ブログに雑文を書きつける程度で、これといった成果もなく、今の仕事を続け、家事や育児に追われて、22年が経ちました。

今も、自分がどうなりたいか、何をしたいのか、ぼんやりとしていて定まってはいませんが、とりあえず、今は、「私も、人を楽しませる『何か』を創り出す側の人間になりたい」という漠然とした思いが、自分の中にあることに気が付いたところです。

それは、まだ「夢」とすら呼べないものではあるけれども、ひとまず手を止めずに、見たもの聞いたもの、考えたこと感じたことについて、書き続けてみることを、2023年の目標としてみたいと思っています。

文章の書き方を学んでから書こうとか、きちんと調べてから書こうとか、そういうのはいったん置いといて、まずは、書く。
そして、それを自分で読み直して、自分の現在地を確認し、もし、自分を変えたいと思うのなら、そのためにどう行動するのかを決めて、実際に動く。
そんなことを地道に繰り返す中で、私の「夢」の輪郭が見えてきたらいいなと思っています。

そのための場所が、このnoteです。