距離感の話

お笑いを見始めた4年ほど前に、一番驚いたのは、芸人さんとファンの物理的な距離の近さである。10年以上ハロプロのヲタクとして、神を崇めるような生活を送ってきた私にとってはあまりに異文化であった。

私にとって、落ちた当時、阿佐ヶ谷姉妹さんは、ハロプロの子と同等に「アイドル」であり、神として崇めるような存在であったのだけれども、どうやら、多くのお笑い芸人とファンの関係性は、そういうものではないようだった。認知も繋がりも当たり前、アイドルなら、巨大匿名掲示板がすごい勢いでスレ消費されるような事態が発生していても、まるで問題は無いようだった。このことについて、当時の私は、羨望と幾分かの苛立ちを含んだ戸惑いを感じていた。

今思えば、これは私が悪い。沼を移るというのは海外移住をするようなものだと、ハロヲタフォロワーのおひとりが呟いていたのを思い出す。自分が10年以上浸ってきたカルチャーを捨てきれず、自分のスタイルを貫こうとして、心折れてを繰り返していた。郷に入れば郷に従えという言葉を知らないバカである。

どんな距離感がファンとして正解なのだろうか。色んな芸人さんが書いた「良いファン」について語るnoteに課金しては、いくつも読みふけった。その多くは、当時の自分の考えを裏付けするような内容であり、読んだ時にはスッキリした。でも、それは、その芸人さんにとっての「正解」でしかない。自分の「好き」という気持ちをどう扱ったらよいか、どんどん分からなくなっていた。

こうした迷走期間は3年ほど続いたが、1年ほど前に、プラチナチケット争奪戦に敗れたことをきっかけに、自分のヲタクとしてのあり方を見つめ直すことになり、ようやく、この人たちを自分のアイドルとして偶像崇拝するのはやめよう、このままでは自分が不幸になると決意した。気持ちの整理にはしばらくかかったが、1ヵ月ほど経った頃には、他のファンの方の言動にも違和感を覚えなくなった。

ただ、一点だけ、はっきりと弁明しておきたい。私は、他のファンの方のあり方について、「私とはスタイルが違う」とは確かに言ったが、「その愛の強さに嘘はない」ということを繰り返し言葉にしてきた。神に仕えるヲタクは皆、等しく愚かであり、そのあり方に、上も下もない。

みんな、同じ人を愛する「インターネットのともだち」だ。

「インターネットのともだち」というのは、とある方と、某食堂で偶然お会いしたときに、お店の大将に私を紹介してくれたときの言葉だ。とても良い言葉だなと思った。ヲタクは、皆、それぞれが、それぞれのスタイルで楽しみすぎているので、近づきすぎるとお互いが不幸になりがちだ。だから、現実世界の「友達」になることは、どんな界隈でも稀なことである。でも、いつもタイムラインで見かける人というのは、やっぱり「インターネットのともだち」と呼ぶのがふさわしい。自らの身を焦がして愛を叫ぶお互いの姿にゆるやかに共感しながらも干渉しあわない。それが、「インターネットのともだち」だと思う。お互い「好きな人たちのためだけに」発信していくことが、大好きな人を支える力になっていくはずだと思っている。

自分にとって「神」でなくなった芸人さんとファンである自分の距離感についても、今、思うことを書いておく。

自分の日常に引き寄せて考えるのなら、人間関係としては「取引先の人」くらいの距離感が、一番近いかなと思っている。私自身は、取引先の人と仲良くなることはまずない。でも、中には、仕事先で出会って、意気投合して、友達になったり、恋人になったり、結婚する人もいる。だから、その時々の流れに沿って、常識の範囲で、出会ったり、言葉を交わしたりしたらいいのだと思う。

どんなに心を尽くしても、自分の足りなさであったり、相手のニーズに合わなかったりすれば、門前払いをくらって、取引まで至らないこともある。そこはやっぱり頑張りたい。でも、取引先と同じと思っておけば、礼儀正しく相手に向き合い、心を尽くして、ヒコロヒーさんがよく口にされているような意味で「ちゃんと」振るまうことはできる気がする。
そして、取引というのは、多くの場合は、客として相手に発注をして、お金と引き換えに商品を受け取るだけの関係性に終わる。そこを踏まえておけば、出会いややりとりに、そこまで意味を持たせる必要もないし、苦しむ必要もないのかなと考えている。

こうしたことを踏まえた上での、身を焦がす、なのである。

芸人さんの表現するものに、誠実に向き合うこと、受けとめること、なるべく正しく理解しようと努めること。そして、その表現の向こう側にいる「人間」への想像力を働かせ、精一杯に思い遣ってみること。私にとってのファン活動は、こんな風に、感じたこと考えたことを言葉にすることである。

そして、その言葉を届けてみる。受け取ってもらえるかどうかは、相手次第だけれども、もし、届いた言葉が、その人の力になるのなら、これ以上の喜びはないと思っているし、それが私の人生を彩るものになっている。