優しい世界
「言ってくれなかったから知らなかったし、知らなかったから間違って恥ずかしい思いをした。」
これに対する多数派の意見は「察することのできないお前が悪い。」だと思っている。
だから、私は、仮に、察することができなくても間違えないように、色んな物事から距離をとることが多い。
でも、こんな私でも、つい、気を許して近づいてしまうことがある。そんなときに「察しろ」を突きつけられるのが一番辛い。
「きちんと言ってくれる人だと思ってた」というのは、こちらの勝手な期待であるのは、頭ではわかっているのだけれど、自分が察することができなくてずっと間違ってきたという事実が、一気に負債としてのしかかってきて押しつぶされそうになる。
お互いに察しあえる優しい世界で、触れ合い、体温を交わしながら生きている人たちにとって、「言ってよ!」と叫ぶ奴なんか、その世界を蹂躙する鬼みたいな存在なのだろうとは思っている。
でも、だったら、最初から鬼の理解者みたいな顔をしなければいいのに、と思う。
そこも察しないといけないのかな。
優しい世界、怖い。
優しい世界から弾かれる者の立ち位置から文章を書いてみた。
私自身のことというよりは、若い頃から抱えてきた鬱屈を言葉にしてみた感じ。
最近思うようになったのは、そもそも人は誤解しあいながら生きてるんじゃないかなということ。
あぁ、間違っちゃったなぁと、声に出して頭を掻いてみてもいいのかなと。