顧客選別

優良な顧客とそうでない顧客を選別し、扱いを変えることは、どんな業種でも必要なことだと思っている。

ただ、その選別のルールが不明瞭だと、選ばれなかった客の納得感が得られない。

なぜ、同じように応援しているのに、あの人だけ特別扱いされているのか、というのは、「好き」という気持ちの強さで、一旦は押し殺されるものの、いつまでもジクジクと膿んで、痛み続けるものになるだろうと思う。

にぼしいわしにはファンクラブがある。
月額500円の課金で、一般告知前の情報がもらえたり、LINEのように1対1でのトークやグループチャットができたり、剝け剝けの思いを語ってくれるゲリラ配信があったりする。「特別」をお金で買っているという納得感がある。

そして、このファンクラブに集うお客さんの質の高さにはいつも驚く。口外禁止の情報を外で口にする人が一人もいないのはもちろんのこと、自分がその情報を知っていることを匂わせる人すらいない。時々、ファンクラブでフライング情報があったということをツイートする人がいたとしても、それは、漏れなくファンクラブに加入するとこんな良いことあるよ、という宣伝文句とセットであり、そこには、「推し」に特別扱いされていることを誇るような自己顕示欲は皆無である。そしてそんなファンの愛の言葉たちを、にぼいわさんさんは律儀に拾ってリアクションしている。見事な愛の循環である。
また「アイコン」との距離感を間違ったり、我を出し過ぎたりして、他の客を不快にさせる人も見かけない。客同士が過剰に干渉しあう様子も見られない。実際は合う人合わない人はいるんだろうけれども、お互いうまく距離を保っているのだろう、コミュニティは常に和気藹々としているように見える。とにかく治安が良いと感じる。

なぜ、こんなに優良なお客さんが集っているのか、いろんな理由はあると思うけれども、一つは「課金」という明白なルールによって、自分を含む複数人が、公平に選別されているのだという、納得感がある気がしている。

ルールがないところで「選ばれる人」と「選ばれない人」が混じり合う世界では、「選ばれなかった好き」が、簡単に怨念に変わってしまうおそれはある。それは、あまり平和な世界ではない。

とはいえ、そんな平和でない世界で、自分が欲しいものを手に入れようとすることの面白さはあるとも思っている。

実際、他人の目など気にせずに、自分の好きという気持ちだけを頼りに、自分だけの「特別」を獲得しようとする姿は、逆に清々しく、好きをこじらせてジクジクしているよりも、健やかではないかと思うこともある。誰もが、力さえあれば、成り上がれるかもしれないという乱世ならではの「希望」を、そんな人に見出したりもしている。

結局、言いたいのは、何が正しくて何が正しくないかは、客が決めることではないということだ。客に他の客を裁く権限は与えられていない。運営サイドが提示するルールを守っていれば、あとは自由。与えられた環境の中で、自分が、できるだけ楽しむことだと思う。

ちなみに、今、私が目指しているのは、良き鑑賞者でありたいということだ。

まずは、きちんと売上に貢献すること。回数や件数の積み上げに貢献するなど実績を作ること。そして、きちんと見て聞いてリアクションすること。良きアウトプットの励みとなるような言葉を届けること。それができているな、と自分で思える時が、今は一番楽しい。

ただ、好きを適切に語るのは難しい。

今も日々迷いながら、それでもやっぱり、そこに「希望」があると感じるから、私は、毎日、好きを言葉にし続けている。