BUMP OF CHICKEN『窓の中から』を聴いて雨宮まみのことを思い出した

BUMP OF CHICKENの藤原基央は声もいいが歌詞もいい。歌詞がすごい。歌詞がうまいマンだと思う。
『窓の中から』は18歳世代に向けて作られた歌で、彼らがいつかくじけたり転んだりした時にすがることができる杖となれば良いという思いが込められている。いつの時代も若者は自分の部屋の中で孤独と絶望を抱えながらウゴウゴしているもので。一人の夜に部屋の小さな窓を開けて銀河の中に目をやれば、遠くにも似たような小さな窓が開いていて似たような光を放っている。大きな声なら届くかもしれない。声を合わせて一緒に歌うことができるかもしれない。一瞬でも声を合わせて歌うことができたら、自分と同じ方向を向いて進んでいる人がいると一瞬でも感じられたら、もうひとりじゃないんだと思うことができる。できるでしょう? そういう歌だ。

18歳世代に向けて丁寧に本気で作られたこの歌を聴いていて、僕は雨宮まみのブログを思い出した。戦友でもあるライターの転職に向けて書かれた別れの挨拶みたいなものだ。
フリーライターは常に孤独で、絶望を抱えている。フリーランスで仕事をしてる人は、孤独に砂漠を歩き続ける旅人のようなものなのである。日が暮れて歩みを止めて野営地から遠くを見やれば、同じ方向に向かっている別のキャラバンの灯りがある。昨日も見えたし、今日も見えてる。向こうも無事に進んでいるようだ。よく知らない相手だけど、存在はお互い意識してるし、なんだか励まし合ってる気がする。こっちは戦友だって思ってるけど、向こうはどうかな。

藤原基央が銀河に浮かぶ小さな窓に喩えた孤独を、雨宮まみは月の砂漠をひとり征く旅人に喩えていた。声が届くくらいの距離に、焚き火の灯りが見えるくらいの距離に、自分と同じように孤独と絶望を抱えて旅をしている仲間がいる。仲間なのかな。仲間だと思うだけでも充分だ。僕は僕らはひとりじゃない。ときどき遠ざかったり近づいたりしながらもこの大きな銀河で共に生きていることを、自分がわかっていればいい。そういう覚悟が、そういうマインドが、いつか「杖」となるだろう。

なんていうかそういう感じで、藤原基央と雨宮まみから同じようなことを言われた気がした。


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