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この世界を理解するために、いろんな体験を積んで生きてきた

私は、幼い頃から、この世のしくみがよく理解できなかった

幼稚園に通うバスの中で、ぼんやりしていたら
身体がバスの外へ出て、上から自分が乗っているバスを見下ろしていたり

大きな病院の処置室で寝ているのに、別室で母親が医者と話しているのを見ていたり

小さい頃は、それが普通のことだと思っていたので、なんの疑問もなかったが、成長するにつれてどんどん困惑していった


たとえば

田舎だったせいもあるが自転車置き場に自転車を停める時に
鍵をかけなければいけないことに、どうにも納得がいかなかった

おそらく「なぜ、人のものを勝手に乗るの?」という疑問

頭では、世の中には盗む人がいることは知っているが、心が納得しないのだ

なので、鍵をかけることなく置いていたが、結果盗まれたことはない
だが、逆に鍵をかけられてしまい、泣きながら、前輪を持ち上げて抱えて帰ったことがある(笑)

そうやって、私は、この世界を理解するためにいろんな体験を積んで生きてきたのだ

ちなみに、この自転車の鍵の件は、この体験が終わると気が済んだのか、普通に鍵をかけるようになった


世界のからくりは、面白すぎるのだ

先日の、インスタでのライブ配信では「なぜ、人間は食物を食べないといけないのか」を話していたのだが

それは、科学的に栄養素が必要で〜〜〜〜とかではなく
ただただ「理不尽だーーー」という叫びである

私はおそらく、この肉体を使った作業が苦手なのであろう
「食べて、排泄する」が理解できない
そして、そこに「欲」が絡んでくる、食欲だ
ほんと、勘弁してくれと思う


人間生まれて死ぬまで、食べて出すに、支配されなければいけないことが
なんか、理不尽なのだ

世の中の人は、そこに疑問がないことが不思議で仕方ない
だが、だからこそ、この世界を生きていく醍醐味があるのだ

この探求は死ぬまで続くのだろう



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