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もう新しいものが作られる必要なんてないって思う瞬間もあるけれど

たしか北野武の発言だったと思うのだけれど(間違っていたらすみません)、「映画において傑作はもう出尽くしていて、新しいものは隙間を埋めるように作るしかない」というような趣旨の発言を読んで、深くうなずいたことがある。

映画に限らず、たとえば図書館に行けば、一生かけても読みきれない量の本がすでにあり、面白い本だって山のようにあり、「新作をつくる必要なんてあるのかな?」と思う。レコードショップに行っても(もうほとんど行かなくなっちゃったけれど)、同じようなことを思う。

そんなふうに思いながらも、それでも時々、「ああ、新作はこの世界に作り続けられる意味がある」と感じる作品に出会うことがある。

The Otalsというバンドがある。June FAXxxxxx(ジューン・ファックス)なる人物と、Marina Timer(マリーナ・タイマー)なる人物による、男女混声の覆面シューゲイザーバンドなのだが、彼らのつくる楽曲がイイ。もうめちゃくちゃにイイ。

「ティーンエイジはきみのもの」なんて、タイトルに恥じない、異様なまでにポップでアオハルな楽曲!

で、冒頭の話題に話を戻すと、オタルズに出会った最初の一曲というわけではないのだが、彼らの「2020年の初夏のこと」という曲を聴いたときに、「新しいものをつくる意味」みたいなことを強く思った。

2020年の初夏、と聞いて、コロナ禍が思い浮かぶ人は多いと思うが、そのものずばりで、コロナ禍の心情が歌われている。楽曲について公式にも、「緊急事態宣言下の東京で製作された楽曲だが、『1年が経過したいまも、楽曲が持つ意味や、意義が失われることがなく存在していると感じた(June FAXxxxxx)』ため、The Otalsとして再構築し、急遽レコーディングが敢行された」とのことだ。

この曲にはたしかに、あの頃の誰もが初めての事態を経験したピリピリ感や、なのに一方で変に弛緩した空気みたいなものがちゃんと刻印されている。

歌詞の一部を抜粋してみる。

液晶越しに話すと
別の世界の人みたいだな
ゲームの中の女の子を
好きになってしまったような
そんな気持ちです いま

The Otals「2020年の初夏のこと」

オンライン通話が当たり前になってしまった2024年の今、相手のことを「液晶越しに話すと別の世界の人みたい」「ゲームの中の女の子」なんて表現はしないだろう。でも、ZOOM会議に慣れていなかったあの頃は、そういう感覚もたしかにあった。

プラネタリウムで暮らすように
ウユニでずっとたゆたうように
消えちゃいたいわ
不安尽きないわ

綺麗なものだけ見ていたいわ
見て見ぬ振りで暮らしたい
でも 誰かに会いたいよ

The Otals「2020年の初夏のこと」

コロナ感染者数が毎日報道され、小池都知事が緊急会見をし、イタリアの病院の死者が並んだ映像が映し出されたあの頃の「世界、どうなっちゃうんだ…?」という不安、でも一方で、「どうでもいいや、どうにでもなっちゃえ」みたいなうっすらしたなげやり感を、この曲を聴くと思い出す。

どんな作品であっても、製作された時代と無関係のものはなく、その時代をなにかしらどこかしらの形で反映していると言える。そしてこの曲はたしかに、コロナ以後にしか生まれ得なかった楽曲なのだ。

当たり前のことだが、時代を反映している"から”名作なのではなくて、時代を反映しながらも普遍性をもつから名作なのだろう。今のわたしはこの曲を、コロナ禍というファクター抜きで聴くことはできないのだが、「名曲」としてこれから先に聞き継がれていってほしいなと思う。

アフターコロナの時代は続いているし、コロナ禍で生まれた文化そのものが消えることはないので、ある意味でアフターコロナに終わりはないとも言える。でも、不安を抱えながら自分の家にいるしかできなかったあの頃を知らない人に、いつか「どんな感じだった?」と質問されたら、この曲を薦めてみようかなと、そう思う。

The Otalsについては、まだまだ言いたいことがたくさんあるので、また彼らの楽曲について書こうと思います。とりあえず、新しいアルバムは最高だし(特に「サイバー・パンク・カスケードQ」名曲!)、8月のライブ楽しみです。

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