「察する」を分解してみる
「察する」という言葉について記事を書こうと思ったら、「察する」を分解し始めてしまいすぐに本題に入れそうになかったのであきらめてその説明からしたいと思う。
私は何か言葉について考えるときに、辞書で調べることからスタートすることが多い。
辞典にはこう書かれているが、使っているシーンを思い浮かべると「察した内容を自身の行動に反映する」という「状況把握」だけでなく「その後の行動」まで含まれているように思う。文化でもあり、美学でもあり、嫌われ者でもあると思う。
さて、察してもらうことの最大のメリットは判断コストを相手に払わすことができる点、逆に最大のデメリットは判断を相手に委ねるため思い通りにならないリスクがあることだと思っている。
何かを決めるということは、責任が伴うし、その責任を逃れて意思決定をする労力を相手に負わせられるのはかなりのメリットだと思う。負わされた側はたまったものではないが。
察さない人の話をしよう。
このテーマは知人のブログの記事の「察しない人に関する論理的な考察を誰か書いて欲しい」という一文がきっかけだった。
私的な察しない人の特徴を挙げると
・バウンダリー(自分と他人の境界線)がはっきりしている
・自身の行動を決める際に責任を自分で持つという価値観がある
・そもそも相手の言動から得ている情報(文脈理解度)が少ない
・相手の行動に対して解釈や意味付けをむやみやたらにせず、かつ自信の行動に反映しない
という感じだろうか。
もっと分かりやすく特徴をまとめられる可能性を感じているが、今は羅列に留めておこう。
書きたいことはまだある気もするがまとまらない。
察してください。
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