こだま薬


***これは2022年9月頃
アメブロに載せていた記事をそのままコピペしたものです。
自己紹介として、良かったらご覧ください。


最近の話を書きます。

今日、本を買った。
こだま著 「ずっと、おしまいの地」

こだまさんのご活躍はツイッターで私と繋がってる方は大方ご存知だと思うので紹介は省くけれど
毎度毎度、その文章の内容の重みと筆致の軽やかさや朗らかさ、毒とユーモアのセンスに脱帽してばかりいる。
どうしてこんなに辛くてしんどい話をこんなにも笑いに変えられるのだろうか。
そして時々泣かされたりもする。ユーモラスで客観視してると思いきや唐突にふいと人間の温かみが滲み出てきたりする。
人間ていろんな表情があって、たとえば身に起こっているひとつの出来事に対して100色の色付けを想像、創造することもあると私は思っていて、(アンミカさんリスペクトもある)その幅というかブレというか多面的で複雑で自分自身でも気づかないこともあったりして
それこそが人間なんだよなと思う。
みたいなことを、気づかせてくれた作家さんだとこの頃よく考えていて。

ところでここからはかなり私事になるのと、かなり突拍子のない無理矢理の紐付けと思われて仕方ないことだし自分語りなので読み飛ばしていただいて構わないのだけど
不思議なご縁で、こだまさんの新刊が出るたびに私は大きな病気をやらかしている。

それは「ここは、おしまいの地」の直前から始まった。
ある日突然顔面麻痺になった。発売直前で予約していたので入院の前日に受け取りに行って病床で読んだ。
「いまだ、おしまいの地」の発売の頃は原因不明の微熱と腹痛で心もかなり病み、大切なフォロワーさんが心配してくれてお見舞いに送ってくださった。大腸内視鏡をしたり、結局原因不明でしばらく家で引きこもっていた。
「縁もゆかりもあったのだ」の発売当初はかなり金銭的に厳しくて、少しゆとりが出たら買おうと思っていた。そして、発売された春を通り越し、さぁ買えるとなった夏に腰椎椎間板ヘルニアを患った。結果、手術のお供に病院に引き連れて行った。
偶然だけれども。
今私は少し厄介な病気がみつかり、ことによっては手術が必要かもしれない状況下にいる。

そして、毎度思う。
あぁ、このタイミングで本を出して頂いて本当にありがたい、と。

私の中でこだまさんの本は「薬」になっている。

しんどい、苦しい、悲しい、痛い、どうしたらいいかわからない。
そんなときにスッと差し出される手。

そこには笑いという救いがあり、穏やかさと落ち着きがもたらされる。
冷静さを保てる。

私は無宗教だし、親が宗教やマルチにハマりかなりけたたましい人生を送ってきた。
うんざりだ、と心の病に犯されたり、ほぼ絶縁に近い状態で。

恋人と友人以外では
映画やドラマや音楽や漫画や本が私にとっての救いだったのだけど、その救いランキング3位以内に確実に入ると断言出来るのが
こだまさんのエッセイなのだ。

弱っているときに救われることは人によって異なると思う。
そして人生が続けばその救いが変わることもある。
何かを否定する必要はない。その人が救われるならいいと最近考えるようにもなった。

例えば、私はコスメや香水やネイルにも触手が伸びてきている。
あと、掃除や断捨離。タオルやシーツなど日常のものを見直したり。食事の質、栄養とか。
散歩デートはずっとしてるけれど今まで無かったお茶の時間を持つようになった。

人って変わるところは変わるんだね、という話を最近大切な人たちとよく話す。

根本的なことは変わらないかもしれないけど
変えたいと自分が望むなら頑張ることは出来るしそれは何歳からでも可能だと知った。
他人を変えたいはおこがましい。だけどその人に合わせて歩み寄ることは出来ることも知った。

人生も自分も変わっていく。


こだまさんの作品からの救いの手のおかげです、と言い切るのはまた少し違う。
そこまで盲目的では無い。なっちゃったらいけないと感じている。

でも、この数年の心の変化のひとつに
こだまさんの作品との出会いが関わっているというのは、確信してもいいんじゃないかなと思ってはいる。
実際にこうして気持ちを書いて、誰かに読んでもらって新たな出会いができたりしているわけなので。
もちろん、嫌われることもあるけど。
それでもいい。

そんな感じです。つまり、サイコーということです。

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