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さーちゃんのこと

『カムカムエブリバディ』終わってしまいましたね。
「安子編」の終盤では、あまりに悲しすぎて、AIさんの「アルデバラン」を涙でかすんでしまってピアノで弾けなくなってしまった時期もあるくらいでした。
今現在、最終回には安子・るい・ひなた、みんなの物語が確かなものとなって、スッキリ晴れ渡った気分でいられたので、ドラマを終わりまで観ることができて満足しています。


1925年生まれの安子ちゃん(3月生まれ)は、私の母方の祖母「さーちゃん」(2月生まれ)と同じ年生まれです。

そんな共通点があったので、このドラマの3代にわたるストーリーには、祖母や母や私を重ねて見ているというところがありました。

祖母は、第二次世界大戦中に挺身隊員として勤めていた大阪・三國(みくに)で避難していた防空壕も爆撃にあって、川へ逃げ、ずぶぬれになりながら何駅分も離れた自宅へたどり着いたという大変な経験をしました。
長女が夏の絵日記に戦争体験を書くということになった時に持たせてくれたメモ書きが今でもここにあります。

食べるものもなく、甘いお菓子等、がまんしてガンバりました。こんな戦争二度としない様平和でありますように…

さーちゃんのメモより



戦後間もなく、お見合いした相手である祖父と結婚し、当初は2人暮らしだと言われていたのに、時代の波に揉まれて舅・姑・夫の兄弟4人(ドラマの算太みたいな人も含まれます…)・時々滞在する親戚達・そして2歳差の3人の子どもの世話に明け暮れる毎日を送ったのです。

またドラマの稔さんのように、祖父がイケメンで当時でも長身だったということも付け加えておきます✨

祖父母は、大家族を回していこうと必死になって暮らしていました。
祖父はおとなしい人でしたが、日頃のストレスを解消したいのかお酒を浴びるほど飲んでいたこともあったそうです。


祖父は私が祖父母宅に下宿を始めた頃に他界してしまったので、祖母に大変お世話になりました。(その後父方の祖父母宅にも下宿しました)
同居していた叔父・叔母・従兄弟と祖母と私…賑やかで楽しかったです。
叔父や叔母がご飯の支度をしてくれて、いつもお腹いっぱいで、その頃から私は少食ではなくなりました。

祖母は、祖父を亡くしたばかりだったからか、精神的に不安定で私に過干渉な所もあって、喧嘩もしましたが、あるとき私が「ヤバい相手」に挨拶に行かなくてはいけないというピンチを救うためにそこに同行してくれたのも、遠くに住んでいる母ではなく祖母でした。
今でも本当に感謝しています。


そんな祖母「さーちゃん」は今、97歳。
80代の後半あたりから、なんとなく言動に不安を感じるところはあったのですが、今では認知症がかなり進行していて、同居する家族は大変そうです。
あんなに大切に思っていた、夫である祖父の事も忘れている時がありました。
認知症が進行していても、私の名前をちゃんと覚えてくれていて、母とさーちゃんの電話では「あさちゃん、O O(妹の名前)ちゃんは元気なの?」と、いつも気にしてくれているようです。
会いたいなぁ…。

ドラマの中の安子ちゃんは100歳まで生きているという設定だったので、さーちゃんも長生きできるといいな、と思います。
さーちゃんの100年近い物語の中に、母も、妹や私も、います。

この物語には終わりはなくて、この先に長女や次女の物語が続いていくのだな〜📖

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