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境界知能の次男のこと

次男は手のかからない赤ちゃんだった。
長男に比べれば。

この『長男に比べれば』とか『長男と比べて』という枕詞を頻繁に使うのはあまりよくないと思うのだが、私にはそこしか比較対象がないので見逃してほしい。

ともかく、ASDで多動傾向もあり、癇の強い長男に比べれば次男は育てやすかった。
おっとりおとなしく、よく寝てよく食べる。少々体が弱くて0歳時に二度入院したが経過は良好、入院時に母乳からミルクに切り替えたため卒乳も滞りなく進み、夜泣きも少なかった。
いつもニコニコ機嫌がよく、兄の後を追いかけて真似っこをした。膝に抱き上げれば行儀良く座ってじっとしている。長男のように抱っこ紐から抜け出そうと仰け反って大暴れすることもなかった。

普通の赤ちゃんってこんなに育てやすいんだ!
長男に手を焼いていた私はそう感激し、2歳差育児に励んでいた。

だが、呑気に過ごしていられたのも束の間、次男が2歳になった頃、あることに気づく。
この子、喋らんな?
長男も決して言葉が早い方ではなかったが、2歳の頃には何かしら発語があったはずだ。あと、こちらの言葉をもっと理解していた気がする。(長男は言葉を理解した上で無視するのだが、それはそれ)
次男はニコニコおっとりしているが、どこか上の空のようにも見えた。

療育センターで長男の個別指導を受けたついでに、さりげなく「下の子が言葉が遅いんです」と切り出してみた。
「まだ2歳ですよ、様子を見ましょう」「うーん気にしなくてもいいと思うけどなあ」などと言われるかもしれない、過度に心配性な母親だと思われるかもしれない。そんな不安がよぎる。
しかし、先生は淡々と「では検査の予約を取りましょう」と答えた。

そして2歳3ヶ月、新版K式発達検査を受けた次男に診断が下る。
『境界域から軽度の精神発達の遅れ』
『発達指数72』

なるほど、と思った。
その頃の私は『発達障害児の母』としてある程度仕上がっていたので、さほど驚いたり取り乱すことはなかった。心理士の説明も小児科医の話も納得のいくものだったし、自分自身の感覚としても次男の発達に軽度の遅れがあるのは明らかだったからだ。

次男は個別ではなくグループで発達を促すことが望ましいと言われ、近所の児童発達支援施設に通うことになった。週に二度の幼稚園プレと並行し、週に一度、数名でのグループ療育。
この児童発達支援施設は後に長男も活用するのだが、専門性が高く良い施設だった。とても人気が高いので、長男次男それぞれを入所させたいタイミングで空きがあったのは奇跡的だった。

長男より早いタイミングで診断を受け、早期療育を開始した次男だが、その後については特別記すことがない。何しろ、あんまり変化がないのである。
彼は常に『ちょっと発達が遅い子』だった。
発語が遅く、指示も通りにくい。指示が複雑になると理解できないようで、きょとんとしていた。相手の言うことがわからなくて、ニコニコ笑って誤魔化すようなところもあった。

言葉のやり取りが苦手な一方で、生活はスムーズだった。
次子であるためか、周りの様子を見て何となくついていく、何となく真似をする、というやり方で幼稚園の集団生活にも馴染んでいた。長男同様偏食があったが味覚過敏は見られず、私も先生も問題視しなかった。おむつも平均的な速度で外れ、おとなしいためか他の子とのトラブルも少ない。ダンスや合奏はワンテンポ遅れていたが、微笑ましいレベルである。工作の作品はぶっちぎりで下手だったが、「かわいいね」「がんばったね」と逆に褒められるような雰囲気が次男にはあった。

あれよあれよと言う間に次男は年長になり、そろそろ就学を考える時期になっていた。年長夏の発達検査は、指示が入りにくかったためWISCではなく田中ビネーを取ることになる。関係ないが、長男の時あれほど通うのが大変だった療育センターは、次男とはスムーズに行くことができた。とにかく手がかからないのである。長男に比べて。

検査結果はIQ80。
び、微妙……。
正直そう思った。何とも言えない数字である。高いとも低いとも言える。これぐらいが将来一番苦労をするのだ、そんな噂を耳にしたこともある。
言語面での遅れを指摘されたが、生活面での遅れがないことや本人の様子などを踏まえ、小学校は普通級に入ることになった。

普通級に送り出すことに不安がなかったわけではない。普通の子より発達の遅い次男が学校までの1.5kmの道のりを一人で歩けるとはとても思えなかったし、勉強もついていけないのではないかと心配だった。受け答えが妙だからいじめられるかもしれない。友達ができなくて毎日泣いて帰ってくるかもしれない。一人でポツンと歩いているうちに車に撥ねられるかもしれない。

この辺の不安は半分当たり、半分外れた。
一年の初めこそ登下校に付き添ったが、今現在2年生になった次男は、1.5kmの道のりを一人でスタスタ歩いている。信号は右を見て左を見て右を見ている。仲の良い友達は特におらず、帰り道で他の子に意地悪をされたこともあったが、「走って逃げた」とあっけらかんと笑っていた。

勉強は全体に遅れ気味だったが、根気良く指導すれば筆算のルールも覚えられた。算数のワークを担任がつきっきりで見てくれた形跡があった。一番不安だった九九は耳で音を覚えるのが比較的得意なので暗記することができた。漢字も思っていたよりずっとできている。国語も算数も文章題は苦手で、質問の意図が読み取れないことが多い。
給食は基本的に残すが、たまに完食できるらしい。一切何も口にしないことすらある長男に比べれば全然食べてる方だ。逆上がりはできない。学習参観で様子を見ていたら、液体ノリの内蓋が外れて使えず、周りの子に助けられていた。運動会のダンスはワンテンポ遅れていたが、徒競走は一番だった。誇らしげにメダルを見せてくれた。

学力とコミュニケーションに問題を抱えてはいたが、次男は生活態度が良かった。
朝起こせば目をこすりながら布団から出てくる。朝ご飯を食べて、少々ゲームをする。(登校前にゲーム?と思われるかもしれないが、彼の自由時間なので過ごし方は自由です)
こちらが指示を出さずとも、自分で時計を見て決まった時間になるとゲームをやめて、靴下を履いて歯磨きをする。水筒に自分で麦茶を入れ、ハンカチをポケットに突っ込み、上着を羽織ってランドセルを背負うと、どう考えても早すぎだろ、という時間に一人で学校に向かう。一度ついて行ったことがあったが、他にも数人せっかちがいて昇降口の前で扉が開くのを皆じっと待っていた。

帰ってくると洗面所に向かい、指の間や手首までしっかり洗って、ピカピカの手でおやつを食べる。カラスの行水の長男と比べると清潔好きで、風呂では念入りに頭を洗い、シャンプーの良い香りを漂わせている。夜になると、隣で小興奮状態の長男が何か捲し立てるのを「うるさい!次男君は眠いんだよ!」と叱責し、さっさと寝た。

次男は「毎日が楽しい」と言う。
寝る前に布団の中で「今日は楽しかったな。明日もがんばろ」と言う。
絵を描くのが好きで漫画のようなものを毎日ノートに綴っている。
『次男のいちにちせいかつ』というタイトルで、朝起きてご飯を食べて学校に行こうとすると、悪者が襲ってきたり、ダンジョンに飛ばされたり、魔王が現れたり、凄まじいバトルを繰り広げて血反吐を吐いたり(ぐはっという断末魔つき)する。だが最後は家に帰り、「たのしかたな」と言って布団に入って「ぐー」と眠る。

すごい一日だな、と私は思う。
すごいね、と言うと「すごいでしょ」と次男は言う。
次男の自己肯定力は凄まじく、「次男君はがんばった」「次男君はえらい」「天才だよ」と自画自賛の言葉が飛び出す。
彼はいつも、自分で自分にメダルを授けているのだ。
あれができないこれが遅れている、とできないことばかりを数えようとする愚かな母に代わり、自分を称賛している。
風呂場でアニメの歌を絶唱し、夢中で漫画を描き、毎日をご機嫌で過ごしている。

おそらく、来年、再来年と成長するごとに学力の遅れは大きくなるだろうと予想している。今は些細な意地悪程度だが、いじめられることもあるかもしれない。
境界知能の彼の前には無数の壁が立ちはだかっている。
将来、誰より苦労するかもしれない。

将来のことは何もわからないが、それでも今現在次男は素晴らしい毎日を送っている。ノートにびっしりと綴られた絵が何よりもそれを雄弁に語っている。
「たのしかたな」「ぐー」
それが次男の毎日である。

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