正確さや深みよりもスピードの時代⁈

 特にtwitterを改めて使ってみて感じたが、内容を正確に表現することを犠牲にして、誤解を恐れず発信の即時性を優先するのが今日のソーシャルネットワークの情報発信においては常態化しているように感じる。これは文字制限があるtwitterや写真のみコメントなしでも発信意義が成り立ってしまうinstagramといったツールが後押ししてくれるもので、仮に投稿に不備があっても言い訳として許されるということだ。口頭の失言しかり、言葉不足があろうが、ツイートの短文にそこまで受け手は責任を追及しないことが暗黙の了解となっているのではないかということ。特に写真や画像のみの場合は、発信者の意図は言語化されないので、完全に受信者の受け止め方次第となる。

 音声入力は、驚くほどスピーディーにテキスト化を実現してくれるが、変換ミスや言い回しの不足を訂正をしっかりしようとすると、それはそれで手間と時間を要し、せっかくの即時性の足かせとなってしまう。ということは例えばツイートするときに#音声入力ママ(音声入力のみで校正や推敲をしていないという意味)を入れておくとか、さらに発信者が受信者に「そういうことだから、細かい部分は無視して受け止めて」という意思を発信しても良いかもしれない。

 そもそも断りをいれずともそう理解してもらえることまで含めて暗黙の了解だ、という寛容で発展的な理解をしてくれるヘビーユーザーのみを意識するなら問題ない。一方、未利用者や利用頻度の少ない人にはそういった前提があるわけもなく、ただのあげ足とりに終始して本質的な内容理解まで至らない可能性は高い。

 感じることは、使っている人とそうでない人が二極化し分断が生じていること。個人的にはその溝に対して、橋渡しをしてシームレスにつないでいくことを目指したいと感じており、今後はそのために何が有効か考えてみたいと思う。

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