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超電磁マシーン ボルテスV 後半、25〜40話(最終話)長浜ロマン!


私は富野ファンなので、富野監督が参加してない長浜忠夫部分には興味が薄い・・・。

 半分くらい無料で読めます。


プリンス・ハイネルがかわいそう


 これに尽きる。親や仲間や目上の人からの愛や指導に恵まれた剛兄弟の異母兄であるプリンス・ハイネルは親の愛にも組織内の支援にも恵まれず、むしろ生まれのせいで伯父である皇帝、ズ・ザンバジルに命すら狙われる。彼はそういう自分の生まれの引け目を振り払うかのように、一生懸命国家に尽くして戦うのだが、彼が守ろうとした国家の指導者の貴族たちはたいていクズだった。
 まあ、ハイネルには武人ジャンギャル将軍の忠誠と美女参謀カザリーンの愛だけはあったけど、それ以外は本当にひどい扱い。
 帝位を追われたハイネルと剛兄弟の父であるラ・ゴール(剛健太郎博士)がハイネルともっと円滑にコミュニケーションをしていたら、ハイネルはしなくてもいい戦いをしなくても良かったし、ボアザン星の革命ももっとスムーズだったのでは・・・。
 というか、長浜忠夫は「コミュ障の親父が妙な精神論を言って情報を開示しないせいで、息子が苦労する」っていう話を巨人の星からやってる。長浜忠夫の癖か?
 そういうコミュ障の親父のせいでハイネルがかわいそうでした。まあ、ハイネル自身も自分の守るべき国や貴族制度がどういったものか、どの程度の価値があるのか、もっと冷静に考えて行動すべきだったという面もある。
 しかし、プリンス・ハイネルはものすごくハンデや身内の不祥事を背負っているのに自分の努力と誇りで能力を高めようと頑張ってて、すごいえらい。しかも、彼が信じる貴族制度自体は糞だったが、ハイネルの国家や部下に対する責任感はすごい偉かったと思う。ボルテスチームよりもハイネルを見てる方が面白かった。
 ボルテスチームの「父をたずねて14万5千光年」という「父恋し」というドラマの主軸は長浜忠夫が狙ったテーマでもある。しかし、ハイネルは恋しいと思う父も母も最初からいないのに、それでも「責任感」と「誇り」と「努力」で自分を高めようとしていた。
「親が恋しい」という主人公たちの感情はメイン視聴者である子供にも理解できるレベルの感情だし、普通の人なら誰しも持っている普通のものだ。
 だが、ハイネルはその一歩上のレベルの苦悩と精神的努力を持っていて、ハイティーンやオッサンにも共感できる。ボルテスチームの活躍を見てるよりもハイネルの苦労を見てる方がドラマ性やロマンを感じて、端的に言っておもしろい。ドラマの精神性もハイネルの方が高い。
まあ、子供向けアニメなんだけどね!


つまらないボルテスチーム


 終盤はプリンス・ハイネルに関連する因縁や、政治的な裏切りの連続などのドラマがおもしろすぎて、親父の王位奪還の道具に使われるために従っていただけのボルテスVという主人公チームが全然面白くない。
 将軍の帰還に合わせて労奴が立ち上がって反乱を起こすという終盤は、ベルサイユのばらのそれよりも、むしろそのあとの時代の「レ・ミゼラブル」のフランスの六月暴動に近い気がする。(レ・ミゼラブルのラマルク将軍は死んでいるけど、ボルテスVでも何人か民衆側の将軍が死んでいる)
 そういう革命運動の中で、ボルテスVという主役ロボットは、最終回では「革命軍を援護して貴族の拠点を破壊する武器」というふうに描かれている。ボアザン星の大攻防戦では、スーパーロボットとして今まで地球を守るために感情的かつ防衛的に活躍していたボルテスが、「他国の軍事介入の道具」として行動している。
 ボルテスチームは今まで「正義を守って戦うこと」「敵であっても人権を尊重する正義感を失わないこと」を目標にして戦っていたし、それに付随して悩みやドラマがあったのだが、終盤においてボアザン星の内政に干渉して軍事拠点を潰す時に、ボルテスチームは「異星の軍人、兵隊を大量に殺傷すること」についてほとんど葛藤せず、淡々と砲台を潰して殺していった。演出的にも、そのように軍事行動を行うボルテスVはスーパーロボット的な感情を見せず、淡々と砲弾を弾いて基地を殴って破壊するという、感情のないマシーン、あるいはゴジラ的な動きであった。また、異星の平和のために介入する巨人というのは、(初代)ウルトラマン的でもある。
 まあ、主人公の剛兄弟「革命派に味方することは父親のラ・ゴールの言いつけだし、そうしないと父親が皇帝に殺されるし」っていうエクスキューズはあるんだけども、「父のいいつけを守るためにマシーンになる」っていうのは、巨人の星で野球マシーンになったことに苦悩しつつ自立の道を探っていた星飛雄馬に比べると、成長の度合いが幼児化している、ドラマのテーマ的に後退していると言えないだろうか。


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