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無敵鋼人ダイターン3最終回 そして日輪の神は

 2万文字ありますが、半分まで無料で読めます。

脚本:荒木芳久 絵コンテ:斧谷稔 演出:小鹿英吉 作画監督:塩山紀生

 最終決戦である。メガノイドの巨大惑星移動ブースターにより、唐突に火星が地球にぶつかる軌道になるという荒唐無稽な事態となる。それと言うのも、破嵐万丈とダイターン3の活躍によって人類総メガノイド計画が遅れ、コロスが焦ったからである。


戦いの中でダイターン3を万丈に奪われた事がこれほど人類メガノイド化計画を遅らせるとは思わなかったコロス。彼女はドン・ザウサーの理想を信じていた。人類がメガノイド化して宇宙へ飛びだせば、地球において人類同士が争う事はない。永遠の平和を達成する事が出来ると。メガノイドを生んだ破嵐創造の息子・万丈が何故メガノイドと戦うのか。そして自分にメガノイド化計画を託してドン・ザウサーは何故意識を失ってしまったのか。コロスは初めてドン・ザウサーへ弱みを明かして泣きすがる。コロスは火星を地球へぶつけてダイターン3を葬り去る最後の作戦を遂行する。その勢いに乗じて一気にドン・ザウサーに人類を従えようと。コロスはコマンダー、ソルジャーの大軍団の指揮を執り地球へ進撃する。
http://higecom.web.fc2.com/nichirin/story/story40.html




 対して、破嵐万丈たちの一人一人、万丈、ギャリソン時田、ビューティフル・タチバナ、三条レイカ、トッポの5人はそれぞれマサアロケットに乗り込み、火星まで突撃する。
 マサアロケットのデザインはヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qの2号機のブースターのようだ。また、ロケットらしく戦いの前にブースターを分離させ、レーザーで戦い、被弾するとコックピットブロックだけさらに分離させて地球に戻るなど、ロケットマニアの富野監督らしい、宇宙ロケットの分離する性能を生かした戦い方で面白い。もちろん宇宙船の色は白だ。
 主人公側が量産型兵器を持ちだすというのはガンダムに通じるシリアスさ。また、対する敵も今回はメガボーグが出てこないで宇宙戦艦タイプのデスバトルと、ガンダムのジオン軍の小型宇宙戦闘機ガトルのような小型メカのアイ・アイ編隊だけで、ダイターン3が火星に出現するまで、ロボットバトルは無い。万丈たちの5機のロケットがメガノイドの宇宙戦闘機艦隊の陣地を切り崩すという地味でハードな宇宙空間戦闘が行われる。ギャリソンが指揮をする4機のロケットは菱形の陣形を取り、バラバラになると袋叩きになると注意しつつメガノイドの艦艇を削る。メガノイドの指揮官は最初に突撃してきた1機を斥候と誤認し、4機の中に破嵐万丈がいると思い込んで戦力の2/3を後発の4機に向ける。しかし、破嵐万丈が乗っていたマサアロケットは最初に突撃した1機目であり、万丈は手薄になった所からメガノイドの本拠地の火星に侵攻する。
 司馬遼太郎の艦隊戦小説や三国志演義のような軍記物のような戦法である。富野たちの世代の趣味性がうかがえる。ダイターン3の試作量産型は前回34話で破壊されたようで、今回は出てきていない。それで、万丈のロケットだけダイターン3を搭載している分だけ動きが遅い、と言うのも地味にリアル志向。そして、敵は動きの速い後発部隊の方が性能が高い本命だと誤認するのも戦記ものっぽい。


 各論の考察に入ろう。


平和を愛するメガノイドの未来への希望

 今回、初めてコロスは泣く。意外だった。割と序盤から、私はドン・ザウサーは寝たきりで昏睡状態の脳だけのロボットで、生かさず殺さず留め置かれたその立場だけをナンバーツーのコロスが利用して、彼の言葉として自分の命令を部下に押し付けていたと思っていた。コロスはドンの立場だけを利用して自分が影の支配者になろうとしていたのだと思っていたが、意外に純情だった。
 コロスには個人的な野望は無かった。
「人類がメガノイド化して宇宙へ飛びだせば、地球において人類同士が争う事はない。永遠の平和を達成する事が出来る」というドン・ザウサーの理想を純粋に信じ、それに囚われた女性だった。


「おっしゃってましたね、あなた。メガノイドの力があれば、人類は地球以外の星に進出していけると。そうなれば、地球上で人間が殺し合ったり、戦いを起こしたりすることが無くなり、人類は永遠に平和になる。それなのに、あの破嵐万丈。なぜ、メガノイドの原型サイボーグを開発した、あの破嵐創造の子供が、あなたの夢を壊そうとするの」
「あなたは、御自分の夢を私にお話になったまま、意識を無くされた。お恨みもうします。私にだけやれとおっしゃったあなた」
「女の浅知恵とお笑いください。火星を発進させ、ダイターンもろとも、万丈を倒します」


 そして、ドン・ザウサーを深く愛し、自分に理想を託したまま意識不明になってしまったドン・ザウサーのことを真剣に悲しんでいた。これまでのメガノイドのコマンダーたちはスーパー人間という超人的な力を機械仕掛けのメガノイドになることで、エゴを強化されて自分のやりたい放題の趣味を炸裂させるというクズばかりだった。なので、その大元のボスであるコロスは、どんな「エゴ」を持っているのか?
と期待していた。
 そして見てみると、コロスは「自分がエゴを持っていると気付いていない究極のエゴイスト」だった。「地球の平和のため」「人類が機械の体を手に入れて永遠に存続するため」という、究極の公に尽くす人だった。
「ドン・ザウサーの銀河帝国」と言うのも、ロボットアニメやスター・ウォーズによくある悪の「銀河征服」とか権勢欲ではなく「人類の文化を銀河に広げて永遠に存続させる」という理想だったのだ。
 まあ、そのために人間をソルジャーに改造して奴隷にする、と言うやり方は間違っているというか急進的で暴力的であったので、万丈はそれに反発したのだろうが。
 この、「自分たちの体を改造して銀河に羽ばたく勢力」と「人間の体や心を保ちながら、ロボットを使って戦う主人公」という図式は翠星のガルガンティアのイボルバーと人類銀河同盟の関係にも似ている。ダイターン3のモチーフは21世紀に入って13年もたった後のロボットアニメにも通じるエッセンスを持っていたのか。
 もちろん、銀河に飛び立つ人類の進化、と言うのは機動戦士ガンダムシリーズ(外宇宙に飛び出すのはVガンダム〜∀ガンダムの時代だが)やブレンパワードのオルファンの飛翔に通じるSF的アイディア。
 しかし、70年代のスペースオペラ的なSFだと、例えばジェイムス・ティプトリー・ジュニアの「たったひとつの冴えたやり方」シリーズやスター・トレックシリーズなど「人類が銀河に広がることは良いことだ。人類はたくさん繁殖すべきだ」という旧約聖書的な思想を「善」としているが、ダイターン3は主人公がそれを否定している、と言うのが面白い所。
 ガンダムでもNTは宇宙に飛び出すが、宇宙に飛び出した新人類の新しい活躍よりも∀ガンダムでは「地球に取り残された人々」を描いている。また伝説巨神イデオンでも、2種類の人類がアンドロメダ銀河を挟んで宇宙の広大な領域に進出したが小さな人としての業を乗り越えられない、と言う風に描いている。ポジティブに技術を礼賛する明るい銀河進出については、割と富野監督は否定的なのかもしれない。(まあ、ティプトリーは自殺したのだが)
 しかし、否定的でありながらも富野監督は銀河旅行と言うモチーフを何度も描いているし、そこは少年時代からのロケットマニアとして愛憎相半ばするところなのかもしれない。最新作のGのレコンギスタも最終的な目標を銀河旅行とする団体が登場するらしい。


 そして、コロスやドン・ザウサー、あるいは破嵐創造は人類の銀河での恒久平和と言う理想を掲げてメガノイド化計画を発案したのだが、その高貴な理想も手下のコマンダーやソルジャーには伝わらず、一つにまとまった団体になることはなかった。あるいは、コロスとドンの理想すらも他のコマンダーと同じく「エゴ」の一種類に過ぎなかったのかもしれない。
 そう考えると、非常に恐ろしい底知れないテーマ性を帯びているのが無敵鋼人ダイターン3だと思える。(中だるみもひどかったけど)


コロスは代弁者 ドン・ザウサーと万丈の間のエコー

あんまりちゃんと調べてないけど、wikiによれば



コロス(古代ギリシャ語: , koros、 英: chorus)は、古代ギリシア劇の合唱隊のこと。ギリシア悲劇の中のディテュランボスおよびtragikon dramaから発生したと信じられている。コロスは観客に対して、観賞の助けとなる劇の背景や要約を伝え、劇のテーマについて注釈し、観客がどう劇に反応するのが理想的かを教える。
コロスは主要登場人物が劇中語れなかったこと(たとえば恐怖、秘密とか)を登場人物に代わって代弁する。
ソポクレスのテーバイ三部作の中で、コロスは全知の解説者の役割を果たし、しばしば物語の教訓性を補強した。コロスは「解説者」と「登場人物」の中間に位置するようになり、登場人物である時は、他の登場人物たちに彼らが必要とする洞察を与えた。

コロスには、1〜3人の俳優で演じられる劇を説明して助ける役割があった。古代ギリシアの円形劇場はとても大きかったので、遠くの観客にもわかるよう動きは誇張され、また発声もはっきり聞き取れるようにした。技術的には、シンクロニゼーション(同期性)、エコー、波紋、身体表現を駆使し、仮面をつけていた。




とのこと。


 脳だけが昏睡状態にあって語れないドン・ザウサーを代弁していたコロスは、まさに代弁者だった。
 最終回まではコロスが影の支配者を狙う女かと思っていたが、そうではなく、本当に代弁者に徹していたのが恐ろしい。
 何故かと言うと、「自分のやっていることは愛する人の意志の代弁で、自分のエゴではない」と自分のエゴイズムに気づかないのが究極のエゴイストであるからだ。だから他人の痛みなどに頓着せず冷酷にこれまで作戦を展開してこれたのだろう。
 そんなコロスはドン・ザウサーへの愛情が肥大化してそれ以外の事は考えられないようになっていた。



コロス「ば、万丈…… なぜドンの心をわかってくれないのですか!」
万丈「僕は憎む! サイボーグを作った父を…… まして僕の母も、兄も、サイボーグの実験に使って殺してしまったことは許せない! ドンもあなたもメガノイドを名乗ってスーパー人間と自惚れる! それを憎む!!」
コロス「人類が宇宙に飛び立つ時代には、ドンのお考えは正しいのです!」


万丈の銃が火を吹き、コロスがハチの巣となって倒れる。


コロス「ば、万丈…… あ、あなたって人は……」
万丈「あなたがいい例なのだ、コロス…… ドン・ザウサーへの想いが、愛情だけが心の中ですべてを占めて、ほかのことを何一つ考えられないメガノイドになっている!」
コロス「あの人を愛することは、私の命なのですから……」
万丈「みんな父の亡霊を背負って僕の前に現れるに過ぎない……」
http://neoending.web.fc2.com/anime/magyou/daitarn3-ed.htm




 ギリシア演劇のコロスはエコーや仮面の技法を使っていたと言うが、ダイターン3のコロスも「ドン・ザウサーの理想を実現する愛」を自分の中で永遠に反響させていたエコー(これもギリシア神話の妖精の名だ)によって一念を増幅していった女性だと言える。そして、その反響を万丈は「父の亡霊」と言う。


 そして、さらにすごいことに万丈にコロスが殺されそうになった時、彼女の脳波は昏睡状態にあったドン・ザウサーを目覚めさせたのだ!
 つまり、コロスは少人数で演じられるギリシア演劇における演劇の補助役のナレーターみたいなものなんだが、そのコロスが殺されそうになるとラスボスがよみがえるという構図は、つまるところこの無敵鋼人ダイターン3と言う物語は破嵐万丈と父破嵐創造(ドン・ザウサー)の二人芝居に過ぎなかった、ということも暗示させているのだ。あんだけロボットや美女がたくさん出ても、それは本筋ではなく、「父と息子の確執」が劇のテーマだと言っているのだ。



破嵐夫妻はドンとコロスなのか?


 基地の奥から亡霊のごとく現れ出でたドン・ザウサーは万丈の首を締め上げながら「コロス  お前を傷つけるのは── だ── 誰だ──」
と、コロスの事を愛しながら、万丈を殺そうとする。抵抗する万丈。



ドン「この力── お前はメガノイド── なのか──」
万丈「ぼ、僕を忘れたのか……? 破嵐万丈を!」
ドン「万丈──? あの破嵐創造の息子──?」

万丈「そうだ!」
ドン「万丈は子供だった── 私は── 今まで何をしていたのだ? ──万丈?」
万丈「コロスに利用されていたんだよ。人形のようにな!」

ドン「わかったぞ万丈── お前だな? ──コロスをいつも悲しませていたのは!」




 ドン・ザウサーが破嵐創造の成れの果てか、36話で声が同じ信沢三恵子さんの万丈の母がコロスなのかはハッキリと明記されていないため、ファンの中でも意見が割れていて推測の域を出ない。その事がまた神話性を高めている。
 ちなみに、マサアロケットのコンピューターの声は間嶋里美さんで、12話で万丈を脱出に導く母の声は沢田敏子さん。


 コロスとドンが「“あの”破嵐創造」と言っているので、自分と破嵐夫妻が別個体だと自己認識しているっぽい言葉づかいだが。しかし、万丈の父への憎しみはドン・ザウサーへの憎しみと同じくらいなので、万丈はドン=創造だと思っていた、と、私は解釈する
 他の富野ファンの意見も拝聴すべきだが…。富野ファンの間でも21世紀に入っても解釈はバラバラのようね。


「ドン・ザウサーとコロスは万丈の両親なのか?」説についてちょっと考えつつ色々。
http://d.hatena.ne.jp/gms/20120605/p2
「幼年時代の万丈は、手品師エドウィンと会っている(地球?)」
「旧式のメガノイド・ウェナーに対し、機能停止前のメガノイドがそうやっているのを火星でよく見た、という万丈の台詞」
「火星脱出時の万丈は、少年期と青年期の中間ぐらいの顔立ち(これは主観的類推)」
「火星脱出に、万丈の母は存命。ただし、姿は明確にされていない」
「ダイターン3はメガボーグのプロトタイプ」「つまり、万丈の火星脱出時点では、メガノイド→メガボーグの技術は未完成」
「ただし、最終話のドン・ザウサーのように、外部システムを使えば巨大化可能?」
「破嵐創造の助手であったミナモトは、万丈を逃がした後も、メガノイドのもと火星で人間のままサイボーグの研究を続けていた」
「万丈の母と兄は破嵐創造によって初期型メガノイドの実験に使われて死亡している」
「ただし万丈にとって、メガノイドになる=人間としての死、であり、必ずしも厳密な死亡と同一ではない」



破嵐創造→ドン・ザウサー
万丈の母→ コロス
万丈の兄破嵐大胆→試作型メガノイド→ダイターン3
破嵐万丈→???
いつぞやのネタですが、こう考えると燃えるよな。
最後の二項はさすがに妄想ですが、前の二項は確信犯だと思ってます。
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-153.html

しかし万丈の父への憎しみっていうのは尋常ではないですね。「僕の、僕自身の力だ!僕自身の力なんだ!父さんの力など借りはしない!」って、コンプレックスですよねぇ。
 それから、コロスの最期を見届けて、「僕は・・・嫌だ!」って言うのも解釈に悩まされるセリフで。
 もちろんこの最終回、絵コンテは斧谷稔ですが、どう見直しても、何度見ても、すっきりとはしないところが逆に深く印象付けられるラストなんでしょうね。ドン・サウザーの正体は破嵐創造その人だったのか、コロスは万丈の母と無関係だったのか、万丈は本当に純粋な人間だったのか、そして最後にどうなってしまったのか・・・。いろんな重要なポイントが説明されずに残されたままで。ドラマの作り方として、謎を残して終わるやり方というのはもちろんありだと思うし、そういうもののけっこう先駆的な例になるのかな、と思うところもあるんですが、ここまで確信犯的にやられると、少ししんどくも思われます。
http://zmock022.blog19.fc2.com/blog-entry-982.html



 などと、色んな富野ブロガーさんが意見を残しています。



単純に考えると万丈はエディプスコンプレックス

 何故かと言うと、今作のコロスの元ネタのギリシャ演劇のコロスが登場するテーバイ三部作がまさに「オイディプス王」の話なので、そのまんま「これは父殺しの話ですよ」ってメタ的にネタばらしをしていると考えていいと思います。そういうパロディネタを挟むことで劇中の説明を省いてテンポをアップさせているのだと思う。元々、映画やロボットアニメのパロディが多いダイターン3ですので、最終回にギリシア神話をパロディの元ネタにするのはあり得ると思います。


 そう考えると、オイディプス王になぞらえると万丈はドン・ザウサーを父・破嵐創造の成れの果ての父の亡霊と知っていたが、コロスが自分の母親だとは思っておらず、殺してしまった後に(オイディプスだと交わってしまった後に)母だと気付いて「僕は…嫌だ…」となったと考えると悲劇性が増す。
 オイディプス王の演劇は野村萬斎バージョンの録画しか見ていない不勉強ものなので、コロスの演出についてはあまり偉そうなことは言えないのだが。ほとんどwiki情報ですよ!


 また、火星を逃げ出した破嵐万丈が両親の末路についてどういう認識を持っていたのか、と言うのも曖昧です。36話にコマンダー・プロイトの幻術によって万丈は両親と兄の幻影、父によってメガノイドに改造される母と兄を見るのだが、それは「もっとも幸せでもっとも辛い夢」なので、事実かどうかは曖昧なのである。
 それ以上に興味深いのはドン・ザウサーが「万丈は子供だった── 私は── 今まで何をしていたのだ? ──万丈?」と問いかける事です。つまり、ドン・ザウサーは万丈が子供のころにすでに昏睡状態になったということです。そして、最終回のコロスの証言によれば脳だけが生き残っているのです。そして、それを知っているのはコロスだけなのです。
 脳だけが生き残っていると言えば、第25話「提督の生と死と」(富野絵コンテ回)で、脳だけが戦艦に移植されたマゼラン提督についてコロスが「メガノイドの究極の姿」と言った事も思い出されます。と、すると逆にコロスが究極的に仕えるドン・ザウサーもマゼラン提督と同じ「メガノイドの究極の姿」で、機械に移植された脳(物理的に生体のままの脳が移植されたのではなく、バイオコンピューターへの脳のデータコピーかもしれない)のことを指しているのではないかと言う推理が成り立つ。そして、その秘密は一般のコマンダーは知らない。なぜなら、脳移植された機械仕掛けのマゼラン提督に対して、コマンダー・カタロフは「私はあんなものにはなりたくない!」と言って自殺したからだ。
 バイオコンピューターに人格がコピーされたラスボス(そして父親)と言うと、ガンダムF91の鉄仮面(原案)やクロスボーン・ガンダムのドゥガチなど他の富野作品に登場する。


 そして、もし仮にコロスがメガノイドにされた万丈の母だとすると、彼女は万丈とダイターンを地球に逃した後、火星で人間の状態で病に倒れた破嵐創造(メガノイドが病気になることは考えにくい)を、彼女(とミナモト)がドン・ザウサーのボディに移し替えたのではないか?という邪推もできる。だが、本人である創造の技術が無かったために完全な移植には失敗し、ミナモトは発狂しドン・ザウサーは昏睡状態になったと思える。
 そんな風に指導者である破嵐創造を失ってもメガノイドたちは(コマンダーの趣味的な逸脱はあっても)ドンを筆頭にした独裁統制を執っていた。破嵐創造は名前の通り創造主のような存在であったと思える。メガノイドのリアクションでも創造とドン・ザウサーの区別は曖昧であるし、技術的な指導者の創造と政治的な指導者のドンが別人という描写もなかった。なので、創造がザウサーを自称し始めたと言えよう。ドン・ザウサーと同じように時計で変身するコマンダー・キドガーも万丈の幼馴染の木戸川だったので、自分の名前をカタカナにもじる文化はメガノイドにはあったと思える
(また、万丈は破嵐創造と同じくらい強くドン・ザウサーを憎んでいるので憎しみの筆頭が二人もいるとは考えにくい。)


 では、どうやってドン・ザウサーが昏睡状態にあってもコロスは秩序を維持できたのか?
(側近に対して「ドンと私の関係を知っていたのかもしれない……ドナウン。これで良いのかもしれない」というコロスの発言もあるので、コロスはドンと自分のあいだの秘密に自覚的だ)
 コロスはドン・ザウサーの発光や吐息に応じて、さもドン・ザウサーが言っているかのように代弁してコマンダーたちに命令を下していた。なぜそれができたのか?
 それは、こうは考えられないだろうか?男が理想のガイノイド(女性型アンドロイド)を作る時の考えである。
 つまり、コロスは完璧に愛するドン・ザウサーの思考をトレースして「わかってくれる」理想の思考パターンを持ったメガノイドというプログラムを植え付けられていて、それ故に「わかってほしい」本人の意識がなくなった後も完璧に本人であるドンの思考に沿った行動をして、彼と同じような政治が行えるようになった、と言う。
 また、コロスが代弁者と言うのも、元ネタのギリシャ演劇の手法です。
主人公の万丈もコロスに対して「ドン・ザウサーへの想いが、愛情だけが心の中ですべてを占めて、ほかのことを何一つ考えられないメガノイド」と言っている。なので、その愛の力によってメガノイドは統治されていたのだろう。


 そして、この私の推論によれば、ドン・ザウサーのボディに破嵐創造の脳かその思考のコピーを移植しているので、「“あの”破嵐創造」とコロスとドン・ザウサーが別の個体として認識することも可能になる。メガノイドになった時点で、有機体だったころの名前は別の個体として考えられるほど機械的に発狂しているのかもしれない。メガノイドの究極を目指したドンとコロスは愛の力によって過去の自分が分からないくらい発狂しているのであろう。


 私の推論解釈の時間列を整理すると、
1、破嵐創造、ドン・ザウサーを自称し火星にメガノイド組織を立ち上げる。
2、万丈の兄、メガノイドの実験で死亡→ダイターン3の原型になったか?
3、万丈の母とミナモト、創造に反乱、ダイターン3とマサアと共に地球に逃がす。(マサアのコンピューターには万丈の母に似た母性的な人工知能が組み込まれていた?)
4、万丈の母、夫であるドン・ザウサーに息子の記憶を消去された上で(そうしなければふたたび反乱する)、処女の肉体とドン・ザウサーを愛するだけの思考を持ったメガノイド・コロスに改造される。
5、ドン・ザウサー、病魔に犯され、コロスの手によってスペアのボディに再インストールされる(その際に自分が破嵐創造であったという記憶をなくす。ただし、破嵐創造がメガノイドの開発者で万丈の父との事実の記録は残っていたかもしれない)
6、本編開始


男女の愛と親子の愛の相克


 ここで、非常に悲劇的なのはコロスとドン・ザウサーは互いに愛し合っているのに対して、万丈と彼らの間には深い憎しみしかないということだ。
 コロスは破嵐万丈を「人間にしては強い」優秀なソルジャーの素体として見ていて息子と言う記憶はない。
 また、最終回でコロスの必死の脳波で再起動したドン・ザウサーは錯乱していたようで「破嵐万丈は子どものはずだ!」と、十数年の記憶が飛んでいる。万丈がドンに「ぼ、僕を忘れたのか……? 破嵐万丈を!」というと、
ドンは「万丈──? あの破嵐創造の息子──?」「わかったぞ万丈── お前だな? ──コロスをいつも悲しませていたのは!」と、殺害しにかかる。
コロスはドンを「あなた」と夫のように呼び一身に愛し、ドンはコロス(母)を悲しませる悪い息子の万丈を憎み、殺そうとする。
 サイバネティクスによって、コロスとドン・ザウサーも両方とも記憶が飛んでプログラムに支配されて発狂している所がある。また、メガノイドの特性として自分の一番好きなエゴを優先してほかのことを何一つ考えられない行動パターンを取る。
 そして、そうやって破嵐夫妻が息子たちの記憶を吹っ飛ばしてお互いへの愛に夢中になると、子どもの万丈は無視される上に両親の愛を邪魔するとして親に殺される。
 まさに、ギリシャ演劇のコロスが歌い上げたオイディプス王のようだ。また、最終回の2個前の「幸福を呼ぶ青い鳥」の話でコロスは「万丈、やはり頼りになる男」と敵とは思えない賞賛を贈っている。ある意味これはオイディプス王が母親と交わったことを意識しているのかもしれない。
 そして、子供のころに万丈を捨てた父王は「お前は子供だったはずだ!」と呪詛の言葉を吐きながら万丈に殺される。
 万丈はドン・ザウサーが父親だということは知っていただろう。「僕を忘れたのか?」とドンに対面した時に言ったのだから。そして、ドンを殺害した後に万丈はドン・ザウサーを深く愛していたコロスの亡骸に父を愛していたころの母親の面影を思い出す。
「僕は…嫌だ…」

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