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P2を見終わりパトレイバーのアニメを全部見て押井さんへの感想

終盤まで無料で読めます。

 さっき機動警察パトレイバー 2 the Movieを見た。PIIIは以前に見ていたので、これでアニメのパトレイバーは全部見たことになる。
次は萬画と実写だ!


押井守監督への愛憎



 PATLABOR、良いんですし好きですし、実は初見の小学生のころから榊原良子様の南雲隊長は理想の女性だったんですが。南雲しのぶさんが他の男と寝ていたみたいなP2は畜生!って感じなので、南雲さんの出番が多くてもつらいのう、つらいのう・・・。


 しかし、P2は歪で変な映画だったな。
 逆襲のシャアと1993年当時のPKOと押井守監督の都市論、現実論、あと漫画原作とアニメ版からの要素の引継ぎなど、色んなレイヤーでの要素が錯綜していて、「ズレ」とか「ギャップ」が強いと感じた。
 そんなわけで、押井守監督の作り方には好きな部分もあるし嫌いな部分もある!


ギャップの話


 キャラクターの言ってる台詞だが、キャラクターが言いそうなセリフと押井守さんに言わされているセリフのギャップがあって、理論は分かるが劇や芝居にはなってないと思った。
 現実と架空論は押井守さんらしいんだけど、架空の世界で生きてるキャラクターが途中途中で監督にハッキングされて生の声を奪われて監督の声を言わされている所などのギャップがすごい。
 だが、パトレイバー2の名言と言うか「状況、ガス!」とかテンプレはオタクに人気なので、キャッチ―ではあるんだろうか。僕は監督がキャラクターを尊重しないのは好かんなあ。キャラクターも、何もしない一般大衆、流される自衛隊と警察の実働部隊のモブ、新生特車二課の活躍の機会を与えられない隊員、旧特車二課第二小隊メンバー、松井刑事、後藤喜一と南雲しのぶ、荒川茂樹、柘植行人の順で存在級位が上がっていてキャラクター度、実在感、人権、判断力が監督の演出でえこひいきされている気がする。これもギャップ。
 また、存在級位の高いキャラクターの荒川と柘植は「キャラクター(登場人物)」と言うか、実在の人物をモデルにした「現実の輸入品」なので、これもえこひいき感がある。ギャップだなあ。
 逆にモブキャラクターは非現実的な戦争とやらに右往左往するんだけど、どうもそれに必死さが感じられず、生きてる感じが薄い。そんな風に
登場人物の存在の重みにギャップがあるので、変な映画なんだなあ。
 シミュレーションアニメというキャッチフレーズだが、シミュレーションは所詮シミュレーションであって生々しさが伝わってこない、というのが残念なんだよなあ。

  




作画の話


 黄瀬和哉作画監督だし、今敏レイアウトだし、すっごいリアルな人間のと背景の作画アニメーション。

 なんだけど、21世紀のデジタルCGアニメ全盛時代に今から20年前の絵を見ると、やっぱり引きセルとか車の作画とか上手いけど昔のちゃちさを感じさせる。当時の最先端の絵に頼っているので、所詮当時のレベルに過ぎない感じがして残念。これも時の流れとか、メディアと手法のギャップなんだなあ。
 しかし、このロケハンや未来予測のシミュレーションや作画のクソリアルの追及に押井監督の甘えを感じるな…。
 「正しい」「正確な」絵で「真剣な」口調で「現実」について述べたら、「視聴者が自分のことを分かってくれるだろう」という甘えを感じる。
富野監督は「子供に向かって本気で喋ったらわからなくても本気だということは伝わる」と言っている。P2は逆シャアへのアンサーらしいが押井監督の「正しいことを正しそうに言ったら伝わる」とは似て非なるものだと思う。
 というか、「シリアスなことをシリアスな口調やシリアスな作画でシリアスに言う」、それのどこが面白いのか?そんなの当たり前じゃん。当たり前に見えて、逆にギャップが無くて面白くない。
 創作家がシリアスな現実に対してシリアスに真剣に述べても聴衆に伝わらないということは三島由紀夫の自決を見ても明らかだろう。(「自決」云々はラストの柘植の台詞で意識されているが、それを松井刑事が唐突に言い出すのはちょっと松井刑事のキャラクターとしては変な気がする)
 聴衆に伝わらないと思いながらも「正しい見た目」の作画にこだわって頑張るのはアニメーターのさがなのか、監督のせいなのか?本当に伝えたいのか、格好つけたいだけなのか、伝わる人にだけ伝わればいいのか、正しいルックスだったら伝わると願っているのか?ちょっとわからなかった。
色々とご高説を垂れているとは思ったのだが。
 しかし、押井守監督の「リアル」は天下国家や現実とバーチャルが云々と言うより、「飲食」とか「学校のモチーフ」という地に足のついた経験則に基づいた土着的な所の方が持ち味があると思うし、やっぱり攻殻機動隊とかよりハタハタを食べたがる話や立喰師列伝などの方が押井さんの本当の持ち味を生かせると思う。
 P2もイノセンスも政治論とかより、オッサンがコンビニでうろうろ買い物するシーンの方が面白かったもん。




二人の軽井沢のほうが好き



   

  

藤津亮太の恋するアニメ
第6回 真面目な人たち(後編)
機動警察パトレイバー 2 the Movie
作・藤津亮太
Nは『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を見て、南雲が柘植の公私にわたるパートナーであったことにどうも納得がいかないらしい。が、僕はその納得いかないのが、どうにもわからない。
「南雲さんが、柘植と不倫してそれが理由で埋め立て地にトバされたってのは、もう決まってる設定なんだから不満をいってもしょうがないじゃない。」
しばらく思案顔をしていたNは、急に納得いくような顔をした。
「ああ、わかった! なんで私がもやもやしてたか。そう、設定よ。設定だからよ」

よくわからない顔をしている僕にNは続けた。
「南雲さんは、真面目で仕事もできて頭もいいでしょう? そりゃもちろん常識人だから多少頭が固いところもあるけど、説明されれば理解力はある。そういう設定で進んできたところに、“実は情念の人だった”っていう設定が、急に付け加わったからだったのよ。しかもその設定の根底に――エレクトラコンプレックスでもなんでもいいんだけど――『やっぱり女の人って最終的にはエモーションで動くよね。それってかわいいよね』っていう考えが透けてみえるのよ。そこがいやだったのよ」
http://animeanime.jp/article/2013/02/12/12976.html



 設定をリアルだって登場人物に押し付ける作劇は良くないよね。やっぱりキャラクターの雰囲気とかひきずってきたこれまでの劇からの流れを汲んで構成しないといけないし、作り手が自分を分かってほしいと思って自説を垂れ流す道具に登場人物を利用するのは良くない。つまり、作り手よりも僕は登場人物の方を尊重すべきだと思う。現実よりバーチャルの方が偉いに決まってんだろ。現実の人間がどれだけ無駄に資源を食いつぶしていると思っているんだ。


まあ、押井守監督の小説版を読んだらまた違う解釈があるのかもしれないけど…。

で、後期OVAシリーズ 12話、二人の軽井沢ですが。
いいよね・・・。
いい・・・。


脚本:有栖ひばり・伊藤和典演出:吉永尚之絵コンテ:浦田保則


 後藤喜一と南雲しのぶさんのドラマとしてはこっちの方がいいと思う。
作画と演出と脚本のギャップのバランスも二人の軽井沢は優れている。
 大体においてテレビ版やOVA版や萬画版のパトレイバーはゆうきまさみ先生の記号的でシンプルな線の絵柄の雰囲気なのだが。高田明美先生のアニメキャラクターデザインも、リアルになり過ぎずキャラクタライズされている。
 で、だが、二人の軽井沢は映画版を抜くとパトレイバーシリーズの中でトップクラスに作画がリアル。
 南雲しのぶさんのほうれい線を、「おもひでぽろぽろ」に先駆けて描いていて、南雲しのぶさんが中年のおばさんだとリアルに描写している。
 そんなリアルな作画でやってることが、中年のオッサンとおばさんがラブホテルに泊まって気まずくなるという、ものすごく下らない話で、そのリアルと童貞くささのギャップがめっちゃいいんですよ!

 後藤隊長がしのぶさんの風呂を覗くのはポリコレ的にアウトとか古臭いと言われるかもしれないけど、あの後藤隊長は全力であの状況でふざけていただけだと思う。僕は会議室で上司に向かって戦争がどうとか言って怒鳴る後藤隊長より、ふざけている後藤隊長のほうが好きです。


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