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あなたとわたしは違うから。#シェアめぐり

シェアを巡る旅路の中に、ぽつんと巻き込まれてみんとす。

noteをTwitterでシェアすること。いつからか、息をするようにしている行為について、まじめに考えてみようと思います。(詳しくはあおやぎさんのnoteへ)

基本は本文引用+感想

この型が一番美しいと思っています。「美しい」というのは、「バランスがいい」に近い。見た目も思想も、お互いのバランスがいい形。自分のタイムラインに誰かのnoteを載せることには、バランスが求められると思っている節があります。

本文引用について

同時に、これは危険な編集行為だな〜とも思っています。特に本文の引用は、個人的にはけっこう乱暴な行為だと感じます。noteの文脈の中で語られ、その位置で正確な意味を発揮する一節を、限定的に抜き出し全く異なる文脈(タイムライン)に載せる。

何が起こってもおかしくありません。その一節が一人歩きして何か不都合なことが起こる可能性もあります。ツイートにいいねしてくれた人が絶対にnoteを読んでくれる保証はなく、歪曲して伝わった場合に正す術はありません。。

危険な行為だなぁと強く自覚する一方で、「書き手本人の言葉を届けたい」とエゴを押し通す形で、この型を基本としています。できるだけ、誤解が生じる抜き出し方はしないよう気をつけているつもりです。

気をつけてはいるのですが、抜き出す基準はわりと独りよがりです。。
読み進めるなかで、
①言葉の表現に強く惹かれた文言
②新たな視点、言語化にハッとした文言
③文全体の総論にあたる文言

のいずれかが引用の対象になります。

基準にしているのは、「自分に一番響いたところ」。書き手に寄り添う(書き手の想いを正確に伝える)ならば③が基本になると思うのですが、わたしは①②が多いです。あくまで「わたしの視点から見た、あなたの言葉」と線を引いている感覚かもしれません。

①の例です。タイトルとほぼ同じ意味の一節だし、サムネにも表示されているし、役に立つ抜き出し方ではありません。ただ、一番惹かれた一節がここだったので引用させてもらいました。

noteではないですが、こちらは②の視点になります。自社のメディアを考える中でもにょもにょしていた部分を言語化してもらった感覚でした。(余談ですが、soarさんの記事は毎回肉厚なのでどこを抜き出すかかなり悩みます。。)

自分と違う考え、自分が言語化出来ていなかった事象に出会って刺激をもらったとき、その新鮮な気持ちを伝えたくなります。だから①②が多くなります。
書き手の気持ちに寄り添い尊重することも大切にしたいけど、自由な読み方がゆるされると思っているし、「あ、そこ??」みたいなブレや揺らぎが楽しいと思っている節があります。

ただ、tips系は③がよくまとまっているので、大人しく引用させてもらうことが多いかもしれません。なんか反抗したくなったときは②の視点で引用することも(笑)エッセイ系は「多分ここだな」を受け入れることもあるし、敢えて無視するときもある。けっこう我の強い引用の仕方かもしれません。。

感想について

感想の部分には、あまり自分の意見は乗せないです。あくまで感想、たまに所感。noteを読んで自分が思ったことを、表現に気をつけながら書いています。自分の中で深まった部分を書いたり、刺激をもらえた理由を書いたり。表現するしないは相手にもよりますが、(敢えて)書かれなかった部分を考えながら感想をしたためることもあります。

たまにある「うまく抽出できないけど、シェアはしたい・・!」ってときは感想だけ載せます。その際「めっちゃ共感しました!」と言うのは簡単だけど、それはそれで危ない感覚なので使わないようにしています。できるだけ自分の言葉で、歪曲しないように気をつけて書いてるかな。。

こういうとき記事リンクだけ貼る方も多いと思います。わたしは、自分の感覚だと感想つきのほうが読みたくなるし、「読んでほしい」目的でシェアしてるので感想をつけます。

自分の視点に寄った①②の引用をしがちなので、引用部分が長く感想で補足できないのはすこし怖く感じます。よくやるのは、140字いっぱいを使うためにタイトルを消すこと。(ハッシュタグが含まれる場合はできるだけ残します)。サムネに頼っちゃう。サムネで見切れる長いタイトルの場合も、「すまぬ!」と思って消します。笑
下は残した例。引用の視点は②です。

「書き手さんは何を思ってこれを書いたんだろう…」と深いところでの交流を探るよりは、さっぱりめに「わたしはここに惹かれました/こういうことを感じ考えました」を伝えるために、シェア文を書いています。

思考を深めるシェアと、相手に送るシェア

わりと「わたし」と「あなた」に分かれた視点でシェア文を書きがちですが、関係性にもよるなぁと思いました。端的に言うと、仲良しの方のnoteをシェアするときは相手に向けたお手紙みたいになります。

あきらとさんを見てると、全部の書き手さんに向けてこういう感じだなぁと思います。書き手への敬意がはんぱない。。わたしは知ってる人と知らない人でちょっと変わる節があります。SNS上でわかる人柄なんてごく一部でしかないのですが、少しでも知っているか知らないかで読み方が変わります。読み方が変わると感じ方が変わるから、感想にも影響するのです。

わたしの場合、
・自分と相手との視点や経験を照らす「思考を深めてくれた」シェア
・ラブレターのように「相手へ届ける」を意識したシェア

があるのかなぁと思いました。
もちろん重なるときも多いです。なんにせよ、敬意をもった自由なシェアをこれからも心がけていきたいです。

なんとなく体系立てて書いてみましたが、例外もたくさんあります。笑
「このシェア違うじゃん!」って思ってもどうか温かい目で見ていただけると助かります。。

自分が何を考えてシェアをしているかなんて中々考える機会がないので、自分の中で整理できておもしろかったです!あおやぎさん、素敵な企画をありがとうございます。
このnoteを読んで興味を持ってくださった方がいたら、ぜひ「#シェアめぐり」のタグをつけて自分のシェア論について教えてくださると嬉しいです。

シェアを巡る旅路に、いっしょに迷い込みましょう。



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ここまで読んでいただきありがとうございます! いただいたサポートで、自分へご褒美あげたいなと思います。