幼少期のスケベな記憶


「おっぱい硬いんだよ、さわってみて」


わたしの幼いころの一番古い、性的な記憶。

近所の社宅に住んでいたはるちゃんは、2歳くらい年上のショートカットで、アジアン系な顔の女の子。

ある夏に、はるちゃんのうちの駐車場にチョークでお絵かきしてた。はるちゃんは、おもむろに「えっちな気分になることって、ある?」って聞いてきた。

わたしはわからなかったので、なにも答えなかった。そしたらはるちゃんが「最近、おっぱいがすごく硬くなったんだ」と言う。

まだおっぱいの膨らみなんかちっともないし、おっぱいのことなんか何にも知らなかったわたしには、何の事だかまったくわからなかった。成長期のおっぱいは大きくなる前に硬くなって成長するらしい。

「さわってみる?」って言われたから、触らせてもらった。

そのおっぱいはたしかに硬くてふくらみもちょっとしかなくて、つよめの蚊に刺されたときに掻きすぎて腫れた脛くらいの硬さだった。


ほかにも、小学校のプールに一緒に行った帰りに「今日ぱんつわすれちゃったんだよねー」っていいながら、ノーパンで車止めみたいなとこにすわって足をぶらぶらして、けらけら笑ってたこともあった。ほんとは中身を見せたかったんだと思う。

当時のわたしは、小学校低学年ではるちゃんは5年か6年。でもその夏のあと、すぐにいなくなってしまった。社宅だったから、引っ越したんだと思うけど覚えていない。

だれにも、はるちゃんとの出来事は話したことがないのだけれど、一番古い性的な記憶。このこと以降、わたしはえっちなことに興味をもち、さまざまなことを試してみた。それについてはまた別で。


この記憶が大人になってから影響しているなと思ったのは、自分の性的嗜好について考えていたとき。自分の性的嗜好については正直まだよくわかっていないのだけれど。

ひとつ言えるのは、他人や自分の性的嗜好に関してとても柔軟だし、それが恥ずかしいこととはあまり思わない。受け口が広く、それを楽しめるということ。

それはおそらく、無邪気に楽しそうにえっちな話をするはるちゃんのことが影響していると思う。彼女はスケベなことをわたしにあっけらかんと打ち明けた。恥ずかしさは感じられず、さも当たり前のことのように。


もしくはわたしももともとスケベの素質があったのかもしれない。

余談だけどスケベという言葉って、明るい変態って感じでとてもすき。




おわり

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