「普通」に生きるということ

けしごむを食べているような気分だ。
毎日、つまらない会社に行き、東京在住なのに、手取りは20万に届かない。
わたしが仕事を頑張っても、上司が部長に却下されたらそこですべてはリセット。
そんな日々。
心の支えは、きちんと作っておいた。筋トレと、習い事。

つまらない仕事も、くだらない先輩の戯言も、週末のわたしには関係ない。
でも、ほんとうにそうなのだろうか。
牙を取られた気分だ、なにも味がしないから。
つまらない世界で、ちいさな面白さを探していくことになんの意味があるんだろうな。
飛ばしたいんだ、ほんとうはネジを。
きっと、飛ばせなくなっていくことが怖いんだろうとおもう。
「普通の人間」になっていくことが怖い。
あこがれていた「普通の人間」になることは退屈で、おそろしいことだ。
そう気づいたころには、軌道修正できないほどになっていた。

そもそも「普通」とは何なのか。わからないけど。
わたしはねじを外したいんだとおもう。壊したい。ぜんぶ。



そんな日々をアルコールで麻痺させながら生活していたら、ある日、左足のかかとが割れた。
文字通り「割れた」
そうして、中が見えるのだ。真っ暗な闇が。
最初は怖くて、まじまじと見られなかった。
でも次第に慣れてきて、まじまじと見たくなった。
床に座って右足をたてて、その太ももに左足のかかとを乗せると割れたかかとの中がよく見えることに気づいた。


割れた隙間から中をのぞくと、ある日は薄暗い闇のそこになにやら人のような生き物が数匹いた。
せっせと何かを積み上げている。
最近眼精疲労がつらいが、よく目を凝らしてみると文字だ。しかもアルファベット。単語かもしれない。
それをレンガの塀のように、どんどん積み上げていた。グラグラして、いくつか崩れ落ちたりする。
それでもまたその生き物は崩れた塀を積み重ねた。そのうち1匹は、積み上げるのをやめて、離れたところで寝転がり始めた。

また別の日に覗いてみると、数匹が集まって、なにやら話し合っているようだった。もちろん、音は聞こえないのだけれど、薄暗い中に丸いテーブルが見えて、そこにみんなすわっている。オレンジ色のキャンドルに照らされて、静かに相手をよく見てうなずいたりしていた。たぶん、なにかの会議なんだろう。

さらに日が経ち、覗いてみると、やつらがテーブルの上に透明なボトルを置いていて、そこから液体を注いで、それを乾杯すると延々と飲み続けていた。
ある1匹は椅子の上に立ち上がり踊っていた。もう1匹はなにやら大きな声で怒鳴っているように見えた。これは宴会だ、と思った。

そのころには、わたしはかかとの割れを覗くことが日課になっていた。会社に居ても、中の「やつら」がなにをしているのか気になって仕方なかった。

しかし、毎日覗いていると、次第に「宴会」と「会議」が増えていった。
人間は変化がなくなってくるとつまらなくなって、余計な事を考えるものだ。
かかとの中の奴らは、わたしの存在に気づいているんだろうか、それが気になるようになった。

その週末の土曜日に、気になっていたことを解消しようというやる気が生まれたから
用事をすべて済ませたわたしはいつものようにかかとを覗いた。
すると、薄暗い中にいたのはたった1匹だった。
いままでは少なくとも3匹いたのだけれど。
その1匹は、薄暗い中で地べたに座って、ボトルから直になにかを飲んでいた。なんだかやさぐれているように見えたので、なんだか心配になった。

声をかけてみることにした。
「おーい・・・だいじょうぶー?」

するとそいつが上を見上げて、目が合った。
聞こえているんだ!と思った瞬間にそいつは驚いたような顔をした。

と思ったら、視界が眩しくなって、何も見えなくなった。
びっくりして目を瞑った。



目を開けると、まだすこし眩しかったけれど、なんだかすごく長い時間眠っていたような感覚だった。実際、わたしはいつのまにか横になっていた。
まわりを見渡すと、いつものリビングじゃなかった。
薄暗くて、横を見ると「あいつら」が、スクワットしていたのだった。

わたしはなんだかとても冷静だったので、状況を理解して、安堵した。
起き上がって、あいつらと一緒にスクワットをはじめるのだった。


おわり





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