野球漫画はどこまで遊べるのか
球神転生 (1) (裏少年サンデーコミックス)
第1話 野球世界(ザ・ワールド)
最近また漫画を読み始めた。
ただ、野球漫画は割と忌避しがちなのは正直で、ドラフトキングもクラブチームを扱い始めたくらいから読むのをやめていたりする。
どうしても今まで色々な書籍を読んできた知識が邪魔をするのだ。取材などをきっちり行っているのだろう。しかしそこに作家性を組み込むと逆に作りものっぽく感じてしまい、リアリティと創作性のせめぎ合いに不満を覚えてしまいそこから読まなくなってしまう。
現在、マウンドの功罪や忘却バッテリーといった作品によって野球漫画が息を吹き返しているのは知っているのだが、どうしても「もう、そういうのいいから」ってなりがちで食指が動かない。職業病というべきか趣味病というべきか。どちらにしたって「もういいよ」が先に動いてしまう。
そんな中生まれたのがジェントルメン中村氏による球神転生だ。
時の最高野球選手にして世界の首相になった王谷翔兵衛(おうたにしょうべえ)が世界を野球列島へと改造していく中で、永遠島魅州太(とわじまみすた)という小学生の登場が世界を変えていく、というものだ。
なんだかハチャメチャなことを書いているが、その通りなのだから仕方ない。最上段に第一話を記載しているので是非読んでほしい。「自分は何を読んでいるのだ?」という気持ちになる事請け合いである。
私はこういう漫画が結構好きだったりする。こういう「野球」に肩肘をはらずに漫画として野球を描くことはなかなか少ないのだ。
過去野球漫画でリアリティを導入したと言われるのが水島新司と言われる。ドカベンでルールブックの盲点のような野球規則にあるルールを適用してチームの勝敗を決めたりするところは、秘打や岩鬼のハチャメチャな試合運びなどがある中で水島氏の野球に対する愛情とアイデアが光る場面が飛び出るところはまさに、といったものだ。
ちなみに筆者は「試合前に水を飲む」事を水島新司の野球への警鐘、として捉えていない。その話が出た南海権左などは山田太郎を呪いにかけるといった荒唐無稽な水島漫画の最もオカルティックな内容だからだ。あんなものは「オカルトだ」と痛快娯楽として笑い飛ばすもので、未来が見えていたなどいうのは甚だお門違いだ。むしろ北君のサヨナラヒットや山岡君のエラーのほうがよっぽど野球を観ている描写と思える。
これがあぶさんや野球狂の詩などでかなり深くなっていく。漫画的表現と野球におけるリアリティのせめぎ合いこそが水島新司の真骨頂であり、野球好きほどドカベンよりこれらを好む。
漫画的表現と野球におけるリアリティ。
これが野球漫画をする上でかなり重要な要素として構成されている。
過去トンデモ野球の代表とされがちな巨人の星は野球に重きを置いておらず、野球における人間ドラマにウエイトをかけているように、何を表現するかによって野球はかなり性質を変化させる特徴を持つのが野球漫画だ。
梶原一騎的な野球はともかく人間ドラマに重点を置くことは多くの野球漫画で踏襲されており、古くはアパッチ野球軍、前述した野球狂の詩やあぶさん、野球描写よりも男女という点をピックアップしたタッチ、山下たろーくんなどに受け継がれていく。
これらは野球では結構荒唐無稽なことをすることを悪しとしない。
急に野球を始めた少年が甲子園に行けるほどの実力を持っていたり、魔球、トンデモホームランが多少あっても本来書きたかったテーマに影響がなければ多少なりやって構わないとする。むしろ現実ではありえなさそうなトンデモ設定を登場人物にかぶせてその揺れ動きをテーマとする野球狂の詩などはその傑作だろう。その最高峰が水原勇気というプロ野球に女性が現れたら、という漫画的表現を野球におけるリアリティとして徹底に追い詰めたこそ現在でも語られる作品となっている。
一方で巨人の星のような梶原一騎路線より少し前のロボット長島やちかいの魔球といった、まだ人間ドラマがなかったり薄味だった頃の作品を踏襲したものもある。アストロ球団などはその典型例だろう。巨人の星やアパッチ野球軍、男どアホウ甲子園や一球さんなどもこの辺りにあたるかもしれない。漫画表現に重点を置き、ボールとバットを握っておけばまあ野球、という存在感を示すものだ。
これが後に江口寿史の「すすめ!パイレーツ」や漫☆画太郎の「地獄甲子園」、大和田秀樹の「たのしい甲子園」といった野球と言いながら野球要素がほとんど見受けられない、野球ギャグへと進化していく。野球とコメディといえば「がんばれ!タブチくん」のいしいひさいちや「かっとばせ!キヨハラくん」の河合じゅんじなどにも出てくるのだが野球の看板を背負いながら野球をテーマとしないのは前者のパターンであろう。
この際前者と後者で野球漫画として評価されるのはいわゆる前者であり、野球を半ばコメディ的にやっていく漫画を野球漫画とカテゴライズせずにギャグ漫画とカテゴライズするのが通例である。実際地獄甲子園や楽しい甲子園を野球漫画として処理しろと言われたら二作が好きな私でもなかなか困る。
しかし現在野球漫画は二極化が激しく、野球としっかり向き合ってしまいきるものや、一方で野球の名を借りたなにかを書いたものが独自に進化を遂げていき、野球を扱いながら全く違う世界のものになってしまっているのは確かだ。ダイヤのエースとミスターフルスイングを同じ野球漫画として語られることを好まない人も多かろう。
そんな独立進化を遂げている野球漫画の丁度折衷したラインという漫画が遂に出たという印象を受けた。
実は独自進化を続ける両者には不得手な部分がある。
前者は野球を扱いながらその実野球を題材にしているわけではないのでとにかく試合が悠長で長く、試合の話になると一気に面白くなくなる。とりあえずキャラクターの深堀をしたいという作者の思惑が出てくるので「〇〇選手にはこんな過去が」「××選手はこんな努力を」みたいなシーンが試合中に延々と挟まれて一試合が半年から一年かかる。ボール一球30分と揶揄されるがまさにそれが本当にきつい。それもキャラクターに焦点があてられるために野球とは一切関係のない部分が続く。これは作者もあまり好きではない。
この辺りは過去の漫画が偉大で、あくまで選手同士の戦い、いわば剣豪小説のような切り抜きで試合そのものを描くことがほとんどなかった巨人の星、ライバル一人を野球部の象徴として彼一人を倒すことはその高校の野球部を倒すことと同意とみなす水島新司など、こういう上手い人が非常に減った。
選手同士の戦いとチームの戦いを事細かに書こうとしたのはハロルド作石の「ストッパー毒島」あたりからか。その毒島でさえ試合の中でピックアップする選手は意外と少ない。こうやって一試合のコストを抑える努力をしなければ非常に長くだるいものをずっと見せ続けられる。
しかし野球そのもののディティールに凝りすぎると佳作になるものが多く、それゆえに知る人ぞ知る漫画になる事が多い。例えば細野不二彦の愛しのバットマンやヒラマツミノルのRAGGIE、もはやドラゴン桜やSNSで賛否両論の渦を多分あえてやっているインベスターZの作者であり、砂の栄冠で名前を出した三田紀房ですら甲子園へいこうやクロカン、グラゼニで一世を風靡したコージィ都倉でさえおれはキャプテンという野球好きには刺さるが地味な作風に落ち着いてしまったものがある。(著者は有名どころよりはこの辺りのわかっている人が書いた、取材背景が透けて見える作品が好きなのでこの辺りを読み漁る事が多い。初期のドラフトキングもこの位置に属しているかと)
後者はそもそも野球としてカテゴライズされない。ギャグ漫画であり、それ以外の何かだ。野球要素を持ったなにかでしかなく、なんなら野球ですらない時もある。ジャコビニ流星打法などやられても野球を元にした何かであり、これを野球漫画というのは憚られる、むしろ選手が不意の殉職(?)して初めて痛快娯楽になる、とまで言わしめんくらいのぶっ飛んだ加減が求められたりするので前者と比べる方が酷である。
この中間点という作品は意外と少ない。
まだメソッドの確立していない初期には多いが、それは作風を作っていく上で過去の踏襲と自分の作風を重ね合わせた結果生まれたものであり、後世の作品比較においてそういった位置に至ったというだけで作者たちが狙ったところからは外れてしまう。
ジャイロボールという当時はやりながら結果架空のボールとなってしまった「MAJOR」がかろうじて寄せている部分がある、というくらいであり、どちらかといえば前者の踏襲に近い。バディストライクのように最後にギャグとして後者に飛んでいったパターンも珍しくない。
球神転生は丁度その中間点に属していると私は感じるのである。
確かに荒唐無稽な演出表現は多いのだが、原則的に野球の枠から離れず、野球を知った上であえて外すところが非常に多い。サッカー選手が野球をプレーする時、足を使った表現を使うがそれは足の速さ以外であったり、バスケの選手が野球をする際に活躍するのが守備であったり、各々のスポーツの特徴を野球に落とし込んだうえで漫画的な表現にもっていくと、という極めて緻密に計算された荒唐無稽さがあるのだ。
漫画として無茶はするがそのスポーツ的な説明ができないことはやらない。この塩梅がギャグ漫画という後者的なカテゴライズになりながらも決して完全な後者ではないという、野球含むスポーツを真面目に捉えたうえでふざける高水準な漫画になっている。無茶苦茶な理論でさえも奇妙に納得させられる強さを持っている。
それはかつてボールが軽いので打たれたら簡単に飛ばされると評価された星飛雄馬が、なら相手のバットがスイングする前に当ててインプレ―にしてしまえ、というめちゃくちゃながら理論仕立てになっているところに似ている。
言っていることはめちゃくちゃだがなんとなく理解してしまう、このゆとりがこの漫画にはある。
これはかつての野球漫画がなかなか成せなかったところである。清峰葉流火が魔球を投げても納得しにくいだろう。しかしこの漫画は魔球を成立させられる要素を多く持つ。それでありながら今のところ荒唐無稽な演出はあっても理屈抜きの魔球みたいなことはしていない。
また野球史を追っている側からすると意外な選手を持ってきている印象がある。
永遠嶋こと長嶋、ライバルに野村が出ているのはいいとして、永遠島の関係者が波場こと馬場と広岡、というのはなかなかに味が濃い。野村の率いる全大阪が異種スポーツ軍団なのもあって、波場が永遠嶋の最初の仲間であるのは元ネタの馬場正平が期待されながら怪我で消えた選手であることと、プロレスで栄華を築いた人物であることはつながりがあるだろう。いつ猪木を模したキャラクターが出てもおかしくない。すべてのスポーツシーンの英傑に野球をやらせたら、を展開をしたい気持ちがこういうところにも表れている。
こういう荒唐無稽を行うからこその緻密さが見受けられる作風なのはぜひ今後とも応援したいと思う所存である。
裏サンデーで連載中なのでぜひ読まれてほしい。テニスの王子様のように「そのスポーツに関してはきちんと心得がある人があえて外してきている」漫画であるので野球を知っていればいるほど結構にやりとする表現が多いので。
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