ある男の物語 ~ピッツバーグに咲いた花~

ある一人の男の話をしよう。
彼は2010年、ピッツバーグ・パイレーツからドラフトで指名された。彼はアリゾナ州立大のショートを守っていたがそんなに輝かしい成績を残せていたわけではない。
だからこそ指名順位は15位に甘んじた。
15位、もうそれだけでも気が遠くなりそうな数字だが、これが30球団も続くのだからその道は果てしない。事実彼の指名番は447人目。期待されていたか否か、で言えばされていなかった。
叩いた、と言っても15位という順位では対して活躍しない。数年もせずにマイナーの3Aをくぐってほどなく消えていくのがほとんどだ。3Aにいけたらもうけ、みたいな順位なのだ。大抵が2Aを前に姿を消す。
もちろんその彼もその一人になる可能性は十分すぎるほどあったのだ。

彼はA-の評価を受けるニューヨーク・ペンシルバニアリーグにショートとして顔を出す。選手によってはここが関の山、なんてのは十分すぎるほどあったであろう。18試合出場。ドラフト15位にしてはいい思い出で終わっても十分な試合数だった。

とはいえ世間を騒がすほどではない。
一選手程度だ。スタメンを埋めるくらいの力はあるもののとんとん拍子でマイナーを上るような男ではなかった。
事実彼が3Aに上がったのは2016年。とてもじゃないが早いとは言えない。正直に言えば遅い。普通はこうなる前に引退をするか契約破棄されるのがいいところだ。
だが彼は2Aアルトーナ時代、その足を駆使して走りに走った。足が持ち味であった彼は2014年、37盗塁、2015年には29盗塁を決めている。四球を選ぶ力もあり50四球は選んでいた。とてもいいわけではないがそこそこ良い遊撃手。
それが彼であった。

しかし3Aの壁は厚い。
3Aに上がるとほとんど盗塁をしなくなってしまう。どこかで見切りをつけたのか。しかし年間10を切るエラー数を誇る彼は地味ながら堅実な守備で生き残っていく。
しかし打撃に一縷の望みもない選手が生き残るのは正直大変である。
それこそ堅実な守備と言われたら聞こえはいいものの、言い換えれば地味な守備である。そこそこ上手いからこそ試合に使ってもらえるものの、おおよそメジャーに上がれるようなものではない。特にシフト全盛期に入り始めた2010年代後半など彼の存在感がいかに薄かったろうか。
いつの間にか彼のマイナー出場試合数は1000を超えていた。

マイナーでの出場試合数1000。
当然ではあるが1000試合出場という記録は1000試合なければ達成できない。単純ではあるがそれは今私たちは文字という情報媒体で読んでいるからそう思うだけだ。
試合というのは大抵1シーズン多くて100試合がせいぜいだ。メジャーでこそ162試合あるがそれが稀という方が正しい。ほとんどのシーズンが100もやれば多いのだ。
つまり単純計算でも彼がマイナーにいたのは10年はいた事になる。
膨大な時間である。若者を青年に。青年を中年に変えるほどの時間を要する。そうやって積み上げた記録でもある。

しかしその記録は果たして胸を張れるものだろうか。第三者からすれば褒めこそすれどメジャーリーガーとして指名された彼らが目指すところはメジャーリーグに所属する球団の契約書であり、10年近くその用紙からは遠ざかっている事と相違ない。
気付けば彼はメジャーリーガーを目指す年齢からどんどんと離れていった。就職活動みたいなもので年齢を重ねるほど特別なものがない限り門が狭まっていくのがメジャーリーガーなのだ。

特に彼の場合3Aに上がる時点で7年の歳月を費やしている。
すぐにでも上がらなければ難しいだろう。
事実2016年をラストチャンスと思ったかドミニカウインターリーグに参加している。しかし無残なもので11試合でほとんど活躍する事もなく解雇。のちにメキシコウインターリーグに参加して3試合で解雇されている。

そこから3Aのチームを渡り歩いていく事なる。
オクラホマシティ・ドジャースから始まった3A人生。2018年にはクリーブランド・インディアンズ(現ガーディアンズ)傘下のコロンバス・クリッパーズへ、2019年にはミネソタ・ツインズ傘下のロチェスター・レッドウィングス、20年には同傘下になったセントポール・セインツ。
22年、リーハイバレー・アイアンピッグスでは野手最年長に。
この時点で33。下り坂も見えてきた。同僚でいまだメジャーデビュー出来ていないアリ・カスティリーオと共にマイナー在籍コンビでチームを支える羽目に。
もうあきらめも見えてきた23年。34になった彼のもとに一枚の契約書がやってくる。それもよりによってAA時代大暴れしていたあの、アルトゥーナ、つまり2Aに落ちたタイミングでだ。

ピッツバーグ・パイレーツからの契約書が届いた。
34にして彼は、メジャーリーガーになった。

メジャーリーグは日本のプロ野球における一軍、二軍のようなものではない。メジャー球団には選手枠、いわゆるロースターがあり、契約書の枚数は決まっている。だから簡単に一軍と二軍を行ったり来たり出来るような風通しはメジャーにはない。選手がマイナーに降格する事はその時点で一大事である。そして、マイナーの選手がメジャーの契約書を手にする事はその数倍も重い。
彼のようにいつまでももらえないまま消えていった選手も多くいるのだ。

そして彼、ドリュー・マギはピッツバーグ・パイレーツのユニフォームを着た。背番号39。自分の年齢と背番号が近い。
2023年4月26日PNCパーク、ドジャース戦、8-1で大量得点で勝っている場面。既にベテランに入ったアンドリュー・マカッチェンの代打で彼はバットを持った。
マカッチェンとは2歳差。2010年代を沸かせた名外野手の代打として、遅咲きの花が遂に咲いたのだ。
打席に入る時、拍手が鳴り響く。スタンドから。味方のダグアウトから。

ドジャースの投手、アレックス・ベシアのストレートをフルスイング。
ボールはレフト側のファウルへ飛んでいった。ダグアウトの選手が笑う。次はピッチクロックでワンストライク。カウント0-2で追い込まれる。一球粘ると球場から「マギ」コールが響き渡る。誰もが彼の打棒を期待した。しかし一球外れた後の五球目。ベシアのシンカーをスイングして三振。しかしキャッチャーのオースティン・ウィンズがファンブルしたので振り逃げで一塁に。しかしファンブルは大したことなく一塁にボールを投げられアウト。
記録は三振。
13年という長い間マイナーに燻っていた男の公式記録が遂にメジャーの壁に書かれた。

シーズンは始まったばかり。
13年の長い年月を得て、ドリュー・マギはどこへ行く。それはメジャーという大きな壁に残された、記録という文字跡だけが知っている事だろう。

https://www.youtube.com/watch?v=_lVQCLEQdDc

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