3、東京ドームで誰もがうらやむ草野球があった

1.名球会セパ対抗戦

野球の試合もそろそろ減ってきており、本格的に野球観戦者にとっては野球納めが来ていると思う。大きな所で言えば大学野球の静岡トーナメントと大学軟式野球くらいか。既に終わらせたという方も少なくないだろう。ここから1月の自主トレや2月のアマチュアオープン戦までは野球と関係のない時期が始まる。

こういう時期は大抵記録編纂をしたり、過去の書籍を読み返したり、という知識に膨大な時間を割り当てる事になるのだが、そういう冬の作業におあつらえ向きの試合があった。名球会に所属しているセパの選手が合わせて試合を行う名球会ベースボールフェスティバルのために東京ドームに足を運んだのだ。

2.野球オヤジ達の祭典。中にはオヤジ達も知らない選手も

つったって、もう私も三十を過ぎ、自分達が憧れとして見てきた選手も残りわずかとなってきた。ほとんどが名球会のめの字にふれる事すらなく球場を後にしたのだ。杉内俊哉も、村田修一も。松坂大輔でさえそうなろうとしている。あれだけ持て囃された松坂世代ですら全く姿を見せていない、という現実が嫌と言うほど分かってしまう。

それは例えば全セリーグのキャッチャーが古田敦也だったり、ダイエー戦士小久保裕紀だったり、近鉄の中村紀洋だったり……。私が幼い手でチケットを持って観に行っていたあの選手やこの選手がOBとして試合をしている事に悲しさを覚えないと言えば嘘になる。

いや、彼らはまだましだ。引退がここ十年の範囲だから記憶にある人が多い。しかし、これが王貞治世代辺りになってくるとどうだろうか。小山正明を知らない人が増えた。彼の被っている帽子が阪神タイガースではなく、大阪のOを模したものを知る人もいなくなった。衝撃的だったのは隣に座った女性が高木守道を知らず「高木守道?高木豊なら知っているけど」と言ってしまう事で、彼が監督をしてもう大分時間が経ってしまったのだな、と思わざるを得なかった。

こうなると例えば全パリーグの一番、福本豊がどんな選手であったかなんて知らないだろうし、同じく全パリーグで選手として来ていた広瀬叔攻が代走に出ようとした時、ふと福本氏の参考にした選手が誰であったかを思い出し「福本よ。これがお手本だ」と言わんばかりに盗塁をしてくれる、という物語を知る事すらない時代になってきた、という事でもある。段々彼らが歴史の教科書になりつつあること、そしてその歴史の教科書を球場に向かうファンにとってもいまいちよくわからない時代になってきた、というような気がしてならなかった。

「平成が終わる。伝説はどうか」

が今回のキャッチコピーだったのだが、段々伝説も伝説になり始めているのが寂しくて仕方なくもあった。数多くの教科書と数少ない動画だけに収まっていってしまうというのは歴史の必然とは思いつつ、悲しいものだ。嫌でも人は年を取るのだ。

3.相手チームのバッテリーが助っ人。代打だけして交代。なんでもありの草野球

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