頑張れ松山竜平

 世間の広島カープファンから松山竜平の厳しい意見を見ると、自分ももう三十を超えたのだなあ、と思う。ついこの前まで彼は若手だったのに、気付けばもう引退が目の当たりになっている。同じ九州出身の人間からしてみれば寂しいものである。

 思えば彼を紹介する時によく使われた「斎藤佑樹を打った男」も、打たれた斎藤選手が引退してしまってそんなに時代が経ってしまったのだな、と覚えずにはいられなかった。大学野球選手権で名前を売った彼の事が遠い過去のように思い出される。

 思えば打撃の上手い男であった。まだ高卒ドラフトと大卒・社会人ドラフトが分かれていた時である。高卒がまだ生き残っているとはいえ、この07年の大卒・社会人ドラフトの面々はほぼゼロに等しくなってしまった。ちょうど元ロッテ服部泰卓がトヨタ自動車で投げてて、彼が社会人ナンバーワンと言われた年だったか。広島は高卒指名で唐川侑己を競合の末にロッテに取られてしまった年であったことを今でも覚えている。

 前田健太がエースの風格を漂わせている時期であったから、そこに続けと思っていた唐川を逃したことにがっかりしていた我々も、日大篠田純平や青学小窪哲也の入団でまずまずと言っていた中での入団だった。よもや広島に最後まで残るのが松山であったとは想像につかなかった。

 かといえば少しずつ、着実にその打撃の片りんを見せて行ってくれた事をいまだに覚えている。彼が入った時の広島はお世辞にも強いとは言えなかった。お家騒動などでごたごたしている横浜がいたからこそ最下位を免れていたものの、五位が定着している、安定の五位力と揶揄されていた時期の入団であったのは記憶に深い。

 しかも広島カープもお家騒動真っ最中で、エースの黒田博樹がアメリカへ、四番の新井貴浩がFAで阪神へ行ってしまい、おそらく広島ファンでも特に心が折れた年の入団だった。今のファンには想像できないだろう。黒田は前年の事があって出ていくことは仕方ないにせよ、打棒の要で、しかも誰よりも「広島が好き」と言っていた男が出ていったのだから。ファンの胸中は穏やかではなかったし、私はそれを引きづってしまったせいで新井選手が広島カープに戻ってきた時に広島への情熱が冷めきった事を今でも覚えている。「もうカープは俺の知らない球団」と彼の広島カムバックに思うほどの激動の一年だった。

 だが私は貴方を応援した。貴方がスタメンに名を連ねる日が待ち遠しかったし、2011年6月9日、連敗を止めたホームランを今でも覚えている。斎藤佑樹を打った雄は広島を救ったか。こう思った。

 翌年入団した岩本貴裕(亜細亜大)とともにクリーンアップを形成すると夢見ていた。松山が三番に座り、岩本が四番で優勝を決める。そうなるのだとずっと待っていた。結果としてはそうならなかったが、それでも新井選手が消えていったあとの傷を必ず彼らが埋めてくれると思いながら過ごしたものだ。

 しかし時間はそれを許してくれなかった。

 気付けばキラ・カアイフエ、ブラッド・エルドレッドといった大砲がチームの主軸になり、そのあとに丸佳浩が、鈴木誠也が席を埋めていた。

 岩本選手もそっとベンチから姿を消していた。小窪選手も。

 それと連動するかのように広島カープは強くなっていった。驚くほど。一時はセリーグを手玉に取るほど強くなっていた。そして貴方もそれに必死になって食らいつき、そこを支えたが、もう世間は菊池が、丸が、鈴木が、エルが、というようにスポットライトはどんどん小さくなっていった。貴方だって活躍していたし、彼らに負けないほどチームに貢献していたのに。

 しかし、だんだんとスタメンよりも代打が増えてきた時、私は時の流れを感じた。いつもレフトで守っていた貴方にため息をつく声が増え始めた。統計学から貴方のバッティングの穴を探し、あまり役に立ってないと指をさすファンが増えてきた。特に守備ではいない方がまし、なんて言われてその言葉を聴くたびに自分事のように悔しくなった。

 そして今年、貴方は13年目のシーズンを迎える。プロ野球を見渡してももう同期もほとんど残っていない。ほとんど全員引退しているといっても過言ではない。広島だともう白濱裕太がドラフト年こそ違えど唯一の同年齢か。寂しくなった。嗚呼、寂しくなった。

 外野もああだこうだと言っている。だが私は頑張ってほしいと思っている。貴方の活躍を信じている。過去、三十後半から打棒で活躍した選手がいなかったわけではない。だから、だから……!

 私は、貴方の今シーズン活躍を、遠い神奈川の地から祈っている。

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