空模様 第4話

池本は,グループの最後尾を大束と一緒に降りていった.脱落者を拾っていくためなのだが,登りであれだけ苦労していた部長の尾川も,下りは順調らしくほぼコースタイムに準じたペースで下っているように思えた.
(これなら問題なく懇親会までには間に合うだろう.”下りのエキスパート” 川口さんみたいだな)

池本は高校山岳部時代のある先輩を思い出していた.
池本が1年のとき,2つ上の3年に川口という先輩がいた.もともと上下関係に厳しい部ではなく,呼称も「~先輩」でなく「~さん」と呼ぶようにと指導され,しごきなどはない緩やかな部だったのだが,なかでも彼はとくに温厚な性格で,池本にもとてもやさしく接してくれ一度も先輩風を吹かせたことはなかった.部活動で山に登るとき,彼はいつも辛そうにしていた.しかし,下りにはめっぽう強く別人のように真価を発揮した.他の部員が膝がガクガクになりペースが上がらないような時も,重いキスリングを背負ってズンズンと下っていった.他の先輩たちは彼のことを「下りの川口」とからかうように呼んでいた.

そんな彼は数年前,進行性の癌で亡くなった.山岳部員のなかには池本と近い年齢でありながらすでに鬼籍に入った者が何人かいた.訃報が伝えられるたび,池本は彼らと一緒に汗水を流した辛くとも楽しかった山登りを思い出した.

しばらく下っていくと人だかりができていた.池本と大束が近づいていくと数人の登山者に囲まれ泣いている男の子がいた.
「どうしたんですか?」
池本は一番近くにいた年配の婦人に尋ねた.
「迷子.お父さんとはぐれてしまったみたいよ」
と婦人は心配そうに言った.

「どこでお父さんとはぐれたの?」
「どこから来たの?」
周りの婦人たちはを男の子を取り囲んで,矢継ぎ早に質問を繰り返したが,男の子は泣きじゃくるばかりだった.
「ボク? 名前は?」
と大束明子は男の子の前にしゃがみ込んで,笑顔でやさしく尋ねた.
「……田原陸人」
男の子は小さな声でそう言った.
池本と大束が面倒をみそうだとわかった他の婦人たちは,一人二人とその場を離れていった.
                〇

「このちょっと先に蓑毛方向に下る道があるんだけど,陸人くんそっちに行行ってたんだろうね.たぶん心細くなってここまで戻ってきたけど,その間にお父さんは参道をそのまま下っていってしまったんだと思うよ」

陸人から,お父さんと二人で来たこと,頂上で昼を食べて下り始めたこと,自分が先に走って下っているうちにお父さんをはぐれてしまったという話を聞いた池本はそう考えた.
「ん~,どうするかな.このまま一緒に連れて降りてもいいけど,お父さんが必ず先に下っていってるって決まったわけじゃない.もしかしたら探しに登り返してるかもしれないし」.

もし父親が先に下っているとしたら下社の少し先にあるケーブルカーの駅に行くのではないか.登りでケーブルカーを使ったなら帰りも使う可能性が高い.ケータイ電話でケーブルカーの運営会社に電話して事情を説明すれば対応してくれるかもしれない.遭難とまではいっていないので,この段階で警察に連絡するのは時期尚早だろう.

池本はしばし考えて大束に言った.
「大束さんは,このまま陸人くんを連れて下りていってくれますか.自分は一度,上まで行って迷子を捜してるような人がいない見てきます.ケータイは場所によっては繋がらないかもしれない」

「あ,それと下で尾川部長か岩本課長に会ったら事情を説明しておいてもらえませんか?」
「わかりました.じゃあ陸人くんとゆっくり下りてますね」
そういって大束は陸人に
「お父さんを探しながらゆっくり下りて行こうか」
と陸人を促して下りはじめた.

池本はその場所から駆け上がるように再び頂上への道を登り始めた.陸人の父親の顔は知らないが,我が子の行方を心配しているようなそぶりの人がいればきっとわかるのではないかと思った.

しばらく速足で登っていったが,それらしき人は見当たらなかった.時間にして10~15分くらいだろうか.頂上まではまだ距離があったが.速足で登っていく池本の前を一人の若者が登っていた.大山では夜景をみるために午後から登る人もいるので,おそらくそのような登山者なのだろう.このまま陸人の父親を探して頂上まで行ったとしても会える保証はない.携帯電話で大束に様子を聞こうと思ったが電波が入らなかった.そもそも彼女の携帯電話も知らないことを思い出した池本は,その若者に声を掛けた.
「すみません.頂上まで行かれますか?」
若者はちょっと驚いたようだったが.
「はい,行くつもりです.スタート遅れちゃったんですが」
「実は,下で迷子の男の子を見つけて,その子の父親が上にいるんじゃないかと思って登ってきたんです.すみませんが,もしここから上に迷子の子供を探してるような人がいたら,ケーブルカーの駅まで一緒に連れて下りてます,と伝えてもらえませんか?」
池本は,その若者に事情を簡単に説明した.
「わかりました」
若者は快く引き受けてくれた.
父親捜しを若者に託した池本は,再び大束と陸人の後を追って駆け下り始めた.大束に状況を伝えようとしたが電波は入っていないかった.
             〇

大束明子と陸人は,ゆっくりと参道を下っていた.

「そうか,弟が生まれたんだ.大きくなったら一緒に遊べるね」
「うん!」
「大丈夫だよ.お父さんすぐに見つかるからね」
大束の気遣いもあって陸人はだいぶ落ち着きを取り戻していた.

そのとき大束の携帯電話に着信があった.総務の岩本だった.
陸人を見つけた場所では繋がらなかったが,ケーブルカーの駅が近くなってきたので電波が通じるようになったらしい.

「あ,大束さんですか.岩本です.どうしたんですか? 大束さんと池本さんが,全然下りてこないんでどうしたのかと思って」
大束は迷子を見つけたこと,現在その子供と一緒に下山中であること,池本が親を探しに登り返していることなどを伝えた.
「困りましたね.さっき池本さんの携帯電話にかけたんですけど,繋がらなかったんですよ.私たちはさっきケーブルカーの駅に着いたんですが,部長が大束さんと池本さんはどうしたのかって……」.
「すみません.私からさっき岩本さんに電話したんですけど,繋がらなくて.この参道,ところどころで電波が入らないみたいなんです」.
「あとどれくらいで下りてこられます?」
岩本が気をもみながら時計を見ている姿が想像できた.
「私,あまりコースタイムのこととかわからなくて…….池本さんと合流したらかけ直すでも良いですか?」
「仕方ないですね.でもお店の時間のこともあるから私たちは先にケーブルカーで下まで降りてますよ.池本さんと合流したらそう伝えておいてください」.
そう言って岩本からの電話は切れた.
(まったく,迷子のことなんかまったく気にしてないんだわ).
大束はそう思いながら腕時計をみた.
時間は4時に近くなっていた.
2時ちょっと過ぎには頂上から下りはじめた.池本は3時半にはケーブルカーの駅に着くだろうと言っていたが,陸人の件で予定は大きくずれ始めていた.
(池本さん,どこまで行ったんだろう……)

第5話に続く

















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