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[NUProtein 南 #001] 出身、大学など

 私の出身地は、淡路島の南端の阿万(アマと読みます)です。淡路島は徳島県と思われている方も多いようですが、兵庫県で、島内を走る車は神戸ナンバーで、選挙区は経済産業大臣の西村氏を輩出した兵庫9区です。

 小学校の行き帰りは農道が通学路でしたので、稲刈り後は、ショートカットできるのですが、たまに農耕車が落とした肥やし用の牛糞を踏んだりしながら、30分ほどかけて通学していました。

 中学は、島内で唯一の私立で中高一貫校の柳学園に通いました。柳学園は、当時島内最大の25cm反射型天体望遠鏡のある学校で、それが使えることもあり、部活動は地学部に所属し天体観測を主に行っていました。当時はかなりのめり込んでおり、大学理学部の学部生が読むような専門書を結構よんだ記憶があります。また、その柳学園の地学部の大先輩が中野主一さんです。
 一般にあまり知られていませんが、中野さんは、マイコンとかPC-9800の頃からの天体の軌道計算の第一人者で、1994年シューメーカーレヴィ彗星が木星に衝突するのを世界で最初に予想された方で、一部の人間(月刊天文と気象、とか天文ガイドの購読者)には有名です。

 さて、大学は原子力発電・核融合等をやりたくて、名古屋大学工学部原子核工学科を受験し失敗。大道学園という神戸市御影にあった予備校に1年通いました。当時は結構勉強しましたが、数学以外は、からきしでどうなるかと思いましたが、翌年無事合格しました。

 無事名古屋大学に進み、専門課程では、放射線計測学を学び、卒業研究では、マイコンを使った計測器を製作しました。当時は、モトローラ社の1チップマイコン用のオリジナルの基板作りから、プログラムは機械語でノートにコーディングし、2桁7セグメントの自作機械でEEPROMに書くなど一から作っていました。ただ、名古屋大学に入る前年に、米国のスリーマイル原発事故が発生し、大学卒業頃には急速に原子力産業が斜陽化しつつありました。

 現在でこそ理系の修士進学率は8割程度ですが、当時は学部からそのまま就職する学生の方が多かったように思います。私も学部卒で就職を決めており、斜陽化しつつある原発産業関連メーカーも考えましたが、結局当時放射線線量計のバッジ等を作っていた松下電器産業に入社しました。

なお、学歴としては、その後名古屋商科大学マネジメント研究科修了(MBA取得)、名古屋大学経済学研究科博士課程退学(ですので、欧米的には経済学のPhD候補 です)と続きますが、MBA取得以後は松下電器(パナソニック)退職後になりますので別トピックの中で述べたいと思います。

noteの最初のトピックは以上です。
拙文、ここまでお読み頂きありがとうございます

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