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灯火


「箕輪」という普段聴き慣れていない音色がバスの中を這い、耳まで届く。バス停横で深呼吸をし、ひょいっとかかとをあげると屋根と屋根の間には山肌の輪郭が丸みを帯びて青みを含ませながらより力強くそびえたっていた。

ミノワホームの目の前にはガソリンスタンドがある。「おーらいおーらい」そんな声と共に車と人が行き交う。交通量も多い。信号待ちをしている車の運転席に座る人と目が合う。
その視線は腫れ物に触れるかのような鋭く突き刺す眼差しではなく、ただ街並みをぼんやりと眺めているかのような暖かい眼差しだった。

ミノワホームの存在は際立つものではなく、だからといって街の外れにあるのではない。隠れるように見せないようにしているのではない。
日常の隣にあり、じわーっと街に溶けている。
壁は物理的に取り払われ、外からは部屋が見える。
生活と日常がなるべく同じ目の高さで、なるべく同じ温度で一つの窓を通して感じられる。また看板は伸びきった草花で覆われ、庭は緑で溢れた。それはミノワ座ガーデンと名付けられた。
どこまで伸びるか楽しみなんだよ!馬場さんは声を弾ませながら無邪気に笑った。
庭にはベンチが置いてある。ベンチの向きをホーム向きではなく車道に向けることで、誰もが使うようになる。ちょったした工夫だった。
煙草を吸いながら座るお父さんも。散歩の休憩に使うおばあちゃんも。恍惚として街を眺める若者も。自然とベンチを使う。そこには心や人の壁も壊されていて、生きているという胸の奥に沈殿された圧倒的なものが湧き上がるように感じられた。

テレビをつければ、さまざまなドラマが日々を潤す。
「泣いた」「かっこいい」「私もこんな人になりたい」

そんな声がSNS上に溢れる。作られていない純粋な声が街中をすり抜け、人々の血液の中を巡り、山の中へと消えていく。

看護師。医師。弁護士。警察。消防。自衛隊。教師。

ドラマで美しく描かれれば、なりたい職業の上位に就く。
しかし介護のドラマはあまり想像がつかない。ぱっと思いつく限りでは「俺の家の話」という長瀬智也さん主演のドラマに介護の話が組み込まれていることくらいだ。

馬場さんは「介護の生活や魅力をいくら施設という箱の中から言っても響かない。ドラマではなくリアルの中で見せるしかない」と言った。その想いが壁を壊そうと思う理由になっていて、実際に計画も進めていた。そんな中起きた津久井やまゆり園事件。
この事件が壁を壊すことの、手にハンマーを握ることの決定打となった。

リアルで会わなくてもネットを介して人間関係を作ることが可能な時代。外に出なくても食べ物が家まで届く時代。
何でも揃っていて、便利で効率性も良い。なんの不便さもない。

昔のほうが良い時代だったよね。とどこかから聞こえた。
ひゃあっ。その声はきんきんに冷えた缶ジュースのように冷たかった。

昔にあって、今失われてしまっているもの。
ネットの発達とともに忘れてしまったもの。
それは人はひとりでは生きていけないことの再認識や、何気なく人の力を借りて生きているというリアルな人肌の温度、出会うことから派生するさまざまな感情だと思う。

台風によって荒らされた畑を自分で何とかしようと思っても何から始めればいいのか分からないし、ひとりで考えててもただ時間だけが過ぎていく。けれど鳥瞰図的に視点を広げてみれば物や人で溢れていることに気がつく。それは意外と近くにあるのかもしれない。

人は何か欠けている。でこぼこしている。
それを欠点といった。欠けているのは悪いことだと、ある人は欠けている部分を無理やり引っ張っぱられた。またある人は突出しているのはみんなのためではないと、つばくんでいる部分を思いっきり叩かれ押さえつけられた。あまりの痛さに悲鳴をあげた。しかしその悲鳴は教室の机を片づける音と一緒に掻き消された。

恤救規則が法令としてあった明治時代。
「まずは自助、共助、そして公助」と言った元首相。
季節は巡り、歳を重ねる。しかし人に頼ること、助けられることは恥ずかしいという空気は未だに見上げた空に漂っている。

人はひとりでは生きていけない。
ぼくにはいろいろなことを毎日教えてくれるひとたちがいる。
サポートし合い、おたがいさまとして生きている。
そこにネットは必要なかった。必要だったのはつながれる場所であり、感情を共有できる人だった。

おたがいさまなんだから。とあなたは僕の肩に手を乗せた。
おひさまを感じられるこんなにもかわいい6文字の中には、煮詰めて出汁をとったように泥臭く、汗なのか涙なのかもわからない塩辛い味をした結晶が埋まっていた。

終業を告げる最後のチャイムが鳴り、放課後になると春日台センターセンターは賑やかになる。
高齢者も、障がい者も、子どもも、国籍も。みんな分け隔てられることなく吸い込まれていく。
子どもは走り回り、コロッケを揚げる速度が速まる。洗濯機の稼働数が増え、轟音を響かせる。

日は暮れていくが、ここは灯台のように明るかった。
それは細分化されたものを紡ぎ合わせた「ごちゃまぜ」という灯だった。

労働や仕事ではない地域活動としての場がここにあった。

欠けたままでいい。不便さがいい。
それを埋めてくれる人は必ずどこかにいる。

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