日記:自分からは遠いところにある幸福

今日は何をしたっけか。何も思い出せないので何もしていないのかもしれない。頭の回転がずっと低速だった気がする。

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「限界しりとり」で0ターンキルされてしまった。「ほ」の7文字ってなんだろう。日記が書き終わるまでに思いつけるかな。



「夜は短し歩けよ乙女」を見た。とても面白かった。

原作小説は去年の秋頃に読んでいて、これも非常に素晴らしかった。先週「四畳半神話体系」を見たので、その流れでこちらも見ようと思った。

まず驚いたのが、「四畳半」に登場する樋口さん、羽貫さんが「夜は短し」にも登場していたことだった。手元にある原作小説を読み返すと、確かに登場している。しかし小説を読んでいるときは、具体的な姿の像を頭の中で結んでいるわけではないから、先週「四畳半」を見たときに同一人物と気づかなかったのかもしれない。というか普通に「夜は短し」における二人の存在が頭から抜けていた。しかし改めて見ると、二人はどちらの作品においてもキャラクターとして異彩を放っている。作品間にこういう繋がりがあると嬉しくなってしまう。「MIU404」にUDIラボが登場したときみたいな(自分は「MIU404」→「アンナチュラル」の順で見たので気づいたのは後からなのだけれど)。

「四畳半」も「夜は短し」も、冴えない大学生が恋に奔走する話で、最終的にその恋は報われている。「四畳半」は自分の知人間では所謂「見てると死にたくなるアニメ」として名前が挙がっていた。これはどういうことかというと、青春における輝かしい恋愛を浴びせられると、灰色の現実を生きる我々のような存在は、日光の下に出た吸血鬼の如く身体が消滅していくのである。冴えない大学生活を送っていた自分やその周辺であったが、時折そういう「見てると死にたくなるアニメ」を摂取することで心に傷を負うことを好んでいた。と言っても恋愛要素がある作品であれば大抵なんでもよくて、「とらドラ!」とか「アマガミ」とかの話をしては幻肢痛に苦しむというのが、夜も更けた酒の席での常であった。しっかり気持ち悪いですね。

もう大学生ではなくなって、そういう視点から見た「四畳半」「夜は短し」がどのように映ったかというと、なんというか、そこまで苦しめられるということはなかった。ある程度距離を置いて、俯瞰で眺められたというか。自分と遠い場所で起こっている物語として、何かを切り離して見ているような感覚があった。「こんな青春を送りたかった」と、青春の只中にいたときほどは思わなくなっていたのである。その慟哭は、近くに存在していたが故の叫びだったのかもしれない。今更どう思ったところで関係ないので、むしろ冷静に作品を見ることができる。願わくばこの凪のような状態がずっと続いて欲しいものだ。時が経ってまた傷が抉られるような思いはしたくない。



あと、「夜は短し」の映画は星野源さんが声の担当をされていたのもあって先週から気になっていたのだけれど、何日か前にご結婚されたというニュースを知って、なんだかタイムリーになってしまった。

星野源さんを自分の中でちゃんと認識したのは今年の初め、「逃げるは恥だが役に立つ」をTVスペシャルに合わせて遅ればせながら一気見したときだった。その少し後に「MIU404」を見て、その演技のギャップに衝撃を受けた。完全にやられてしまった。あとは、「わしゃがなTV」のゲスト回を見て、「こういうオタク的な一面を見せるとオタクはすぐ好きになっちゃうんだよな」と思いながらも、単純なオタクなので普通に好感度が上がってしまったり。そこから「地獄でなぜ悪い」とか「Pop Virus」とかを聴いて感動したり。自分はまだ全然知らないけど、なんと凄い人なんだ。


結婚のニュースを受けて、自分でもなんだかわからないけれど、心のどこかで軋むような音がした。別に星野源さんも新垣結衣さんもそこまでファンだったという訳でもないのに。芸能人の方が結婚するたびにショックを受ける人は一定数いるみたいだけれど、そのときの感情の動きはどういうものなのだろう。そして、それはどのように自分の心に影響しているのだろう。

芸能人の方々は、基本的に自分とはかけ離れた存在だ。遠い位置にいて、遠い世界を生きている。だからそのような人が幸せになったからといって、自分が傷つく道理はないはずである。そもそも人はそれぞれの人生を生きるのであって、その幸せとは本来比ぶべくもない。

けれど人はテレビやラジオやインターネットを通して、本来遠い場所にいる存在を近くに錯覚してしまう。SNSを見れば、幸せそうな様子ばかり目に飛び込んでくるから、その世界が基準に見えてしまう。でも、有り体なことを言えば、見えるものだけがすべてではないのだ。可視化された上澄みの華やかさばかりを見ていると、眩しさでいずれ目が潰れてしまうと思う。


この辺りのことは「推し、燃ゆ」を読んだ時に色々と考えたりした。推しの見せてくれる煌びやかな世界と、自分の世界とは本来、交わることのないものである。その境界を誤ってはならない。でも、そうはいっても、割り切れないからつらいのだ。

結局、自分の現実の幸せの強度を上げるしかないのだと思う。それができれば苦労しないのだけれど。


「ほ」の7文字、「宝石商」とかどうでしょう。

「北斗七星」もあると教えてもらった。そっちのがかっこいいな。

「北極星」とかもいけるな!かっこいいな!(趣味嗜好が中学生なので星の名前が好き)

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