日記:それは祈りのように
帰宅してからずっとシャニマスをプレイしていた。シャニマスはシナリオを最後まで進めるとガシャを引くための石が貰えるというシステムがあり、ガシャが引きたい場合はせっせとシナリオを読み進めたりする。ちょうど明日の正午まで期間限定のガシャがあり、それを引くために忙しなくたくさんのシナリオを読んでいた。結果として、最近あまり読めていなかったものを読むことができてよかったし、なんとか目当てのカードも引くことができた(いわゆる「天井」と呼ばれる、一定の上限まで回すことでカードの入手が保証されるラインまで辿り着いてしまったが)。
シナリオは【starring F】【砂糖づけ・ビターエンド】【黒百合前で待ち合わせ】【BON・BON・DAY!】などが特に印象に残った。たくさん読んだので、シャニマスに触れはじめたときの感覚を思い出していた。
シャニマスのゲームシステムとしては、基本的に同じ時間軸を繰り返しつつカードによって異なるシナリオが展開されていく。W.I.N.G.編というシナリオでは、アイドルがそれぞれ新人アイドルの祭典と謳われているW.I.N.G.という大会で優勝することを目指すのだが、ゲーム内の描写をすべて鵜呑みにするのなら、おそらく同時期に25人のアイドルが同じ大会で優勝している。これはシステム上避けがたく抱える矛盾でもあり、それがどこかパラレルワールドのような情緒を醸し出しているようにも思える。「もしも」の世界が並行して重なり合うように同時に存在している。その揺らぎの中で一瞬だけ波長が合ったときに垣間見える世界が、我々がゲームを通して知ることのできるシナリオなのかもしれない。
彼女たちのアイドル活動の一端に触れるたび、そこに人生を見るような心地になる。彼女たちが何を考え、何を思い、どのように行動し、その結果として世界がどのように変化したのか、あるいは変化しなかったのか。小さな描写の欠片から、1人の人間の影を見出せるような気がして、それが大きく膨らんで心を埋め尽くしていく。自分でもよくわからない感情だが、そこに彼女がいることがたまらなく嬉しくなったりする。どうかいつまでも健やかに笑っていてほしいと願う。
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