日記:同じ月が浮かんでいる

~月ポエム~


月が浮かぶ空の下、どこかで同じ空を見上げている誰かのことを考える。


今日は中秋の名月らしい、と夕方のお天気コーナーで原稿を読み上げるニュースキャスターが知らせてくれた。太陽暦で生きる私たちにとって、旧い暦を意識するなんてこともなく、毎年訪れるはずの十五夜はいつだって唐突に感じられる。

ニュースを聞いて、衝動的に外へと飛び出した。地表付近に浮かぶ大きな月が見られる時間は限られている。ならば、一刻も早くその姿を見たいという思いが抑えられなかった。

しかし時間が早すぎたためか、周囲の建物に阻まれて低い月の姿を見ることはできなかった。ただ、東の地平線を遮る建物の影から、きっと普段よりも明るい月の光が漏れ出ていることが確認できた。それで満足することにした。諦めが良くなったのは、自分が年をとって、手の届かないものがこの世にはたくさんあるということを知ったからだ。

子供の頃も、十五夜には同じように空を見上げていた。月や星が好きだった自分は、少しずつ空へと昇っていく満月を、それこそ終わりまで見届けるかのように、家族にその場から引きはがされるまでずっと眺めていた。

そして、今夜も同じように月が夜空へと昇っていく。月の輝きは変わらない。変わったものがあるとすればそれは自分の心と身体だ。あれから時を重ねて大きくなった身体は、相対的に街のサイズを小さく感じさせる。それと連携するかのように、空もかつてほど大きなものではなくなっていた。ただの錯覚かもしれないし、単に視界を遮る建物が増えたというだけの話なのかもしれない。とにかく、あの頃はどこまでも広がっているように思えた夜の空が、今は何故だか狭く思える。空も月も変わってなどいなくて、だから変わったとすればやはり自分の方だ。

何もかも変わらずにはいられない世界の中で、きっと月だけが永遠だと、十五夜の空を眺めながら思った。あの頃と変わらない月を見ている。どこにいても変わらない月を見ている。今夜の月は、昔住んでいた街で子供の頃の自分が見上げた月と、何も変わらない輝きを湛えている。

ふと、昔のことを思い出した。今よりも街が広くて空が高かった、あの頃のあの場所のこと。空に浮かんでいるのは同じ月。月がいつまでも変わらずにいてくれるから、それを媒介にして違う時間・違う空間に思いを馳せることができる。懐かしい故郷のことを思う。阿倍仲麻呂の時代から、いや恐らくもっと前から、人は月によって時空を跳躍してきたのだろう。

きっと今夜の月も、たくさんの人が見上げているのだろう。今は遠くに住んでいる、仲の良かった人のことを考える。その人もきっと同じ月を見ているのだろう。そう考えると、今もどこかでその人とつながっていられるような気がした。


月が綺麗だ。それが何より嬉しいのは、きっとどこかで同じ月を見上げているのだと、長く顔を合わせていない誰かのことを思うことができるからだ。そして、きっとあの頃の月に目を輝かせていた自分を思い出すことができるからだ。


~月ポエム終わり~



リングフィットアドベンチャー、とにかくお腹周りを何とかしたいので、「腹筋周辺を鍛える日」と「腕・足を鍛える日」を交互に繰り返している。続けていると、腹筋関連のメニューは段々と楽になってきた感覚があるのだが、腕や足のメニューは一向に楽になる気配がない。少しは成長しても良いのではないかと思うのだが。

しかしこれは、腕と足のメニューを一緒にしてしまっているからだということに気がついた。単純に考えて、腹筋と比べて熟している量は半分ずつになっている。それが鍛えるのに中途半端な負荷となってしまっているため、いつまでも腕周りや足腰周りの成長が見られないままなのではないかということにようやく考えが至ったのである。お腹周りのメニューはそのまま変えないのだとしたら、残された選択肢は倍の時間を使って腕も足もちゃんと鍛えるということになる。しかしそれは体力ももたないし、何より時間を食ってしまうのが苦しい。そうなるといくらか諦めるしかないか……。とりあえず気になる部位(腹囲)が改善されてからでも良いかもしれない。


あとは月姫を進めていた。なんだか月を見上げるのが楽しくなる。

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