日記:理解への媒介

電音部のディレクターである石田さんがゲストとして話しているポッドキャストを聴いていた。

その中で、「音楽がキャラクターと結びつくことで可視化される」といったようなことを話されていて、なるほどと思った。音楽は、それを表す言葉や理論が数多くあれど、受容する感覚自体はかなり非言語的な側面がある。好きな音楽について話す機会があっても、「これ好きなんだよね……」「いいですね……」くらいのことしか言えなかったりする。自分の語彙が足りないのはそうなのだけれど、しかし語る言葉を持たずとも楽しめるし好きになるのが、音楽の魅力でもあり、そして難しいところでもある。好きなアーティストについて話すことはあっても、好きなジャンルについて話すこともまだあるとしても、自分が受容した感覚そのものを誰かと共有することはとても難しい。同じライブにいて同じ音を聴いていれば、語らずとも通じ合えるのだが。時間や空間を超えるには、ある程度の耐久性のある言葉が必要だし、それは一定の文化や背景、音楽理論などに対する理解が求められてくる。音楽について語ることって割と難しい。

電音部には数多くのキャラクターと、彼女たちが所属する「エリア」が登場する。個人ごと、あるいはエリアごとに、一定の音楽的背景を共有して楽曲が提供されている。「この子ならこういう曲を歌うよな」「このエリアの楽曲はこういう感じだよな」というのがなんとなくわかる。音楽のジャンルにまったく明るくない自分でも、ハラジュクエリアとカブキエリアの曲が違うなということはわかるし、それぞれの傾向もなんとなく掴める。それはやはり、キャラクターの存在を媒介にしているところは多分にあると思う。



最近、ポケミクという企画が話題になっている。

これもキャラクターがイメージを媒介するケースだ、と言及している人がいて、なるほどと思った。ポケモンには「タイプ」が存在していて、すべてのポケモンは「くさ」「ほのお」「みず」などの合計18種類のタイプを1つまたは2つ持っている。このタイプと、言わずと知れた電子の歌姫「初音ミク」がそれぞれコラボして、新規デザインと新規楽曲が発表されるらしい。

ボカロにあまり明るくない自分でも知っている錚々たる面々だ。数ヵ月にわたって18楽曲が公開されていくらしい。電音部か??

閑話休題、ポケモンのタイプというものはいままで概念としてずっと存在し続けていたものの、それを持つポケモンや、タイプのエキスパートであるジムリーダーたちにスポットライトがあたることが多く、タイプそのものへの着目がなされることはあまりなかったように思う。

しかし、ポケミクの企画が進み、各タイプのミクのデザインが発表されていくと、次第にタイプごとのミク同士の関係性への言及が増えてきた。ポケモンのタイプには「相性」というものが存在し、「みず」は「ほのお」に強い、「ほのお」は「くさ」に強い、「くさ」は「みず」に強いといった強弱がある。ゲーム的にはこのタイプ相性を考えて、戦闘を有利に運ぶのが醍醐味のひとつでもある。

この相性を、タイプごとのミクたちに当てはめる潮流が出てきたのである。エンターテイナーで観客を魅了する風の「でんきミク」は唯一、その身一つで相棒と荒野を旅するような風来坊の「じめんミク」には勝てないとか、「あくミク」は悪そうな表情をしてその実ギャル風の「フェアリーミク」やおっとりしている風の「むしミク」に弱いとか、タイプ相性そのものを関係性(というか所謂「百合」)に落とし込んでいるのである。そんな風に言っている人がいてなるほどなあと思ったのだった。キャラクターが媒介する表象。存在がまとめ上げていくイメージ。その意味や意義には結構大きいものがあるのかもしれない。


自分は……悩むけれどデザイン的にはゴーストミクが好きかな……ミクさんが電子的な幽霊のモチーフになっているのが意表を突かれて好きになってしまった。竹さんのキャラデザには《戯言》シリーズからずっと心を掴まれ続けている気がする。これは古参のファンアピールです。

でもいわミクも好きだ……なぜならお姫様が好きだから……

一番アツい関係性はやっぱりゴーストとノーマルの互いに届かない関係性だと思います。諸説あり。

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