日記:月曜から酒
掲題の通り、月曜から少し酒を飲んでしまったので恐ろしく眠い。週の初めに酒精を入れてしまうことになんだか罪悪感を覚えるけれど、そんなこと神様は禁止なんかしてないはずだ。月曜から酒を飲む自由が、人間にはある。
話は変わりますが、「月曜から夜ふかし」っていうタイトルめちゃめちゃいいですよね(番組を見ているわけではないのだけれど)。日常の中に許された、小さくて悪魔的な贅沢。
でも、それくらいの贅沢を叶えて生きていきたいものである。いいかい学生さん、月曜からな、夜ふかしをできるようになりなよ。
「月曜から夜ふかし」の類語
・水曜の夜に映画館
・木曜だけどもう酒を飲む
・土曜は昼に起きる
・日曜の昼からビール
(※上記は個人の勝手なイメージによるものです)
いや、別に酒は何曜日に飲んだっていいんですけどね……。
日中、外を歩いていたら、石焼き芋屋さんが走っていた。この時期に!?
いやいや、冷静に考えてみれば、別に6月に石焼き芋を食べたっていいじゃないか。
確かに、冬の寒空の下を歩いていて、スピーカーから流れるあの声を聞きつけて、音の鳴る方へ足を向けて、見つけた軽トラックで石焼き芋を購入し、古新聞に包まれたそれを手のひらでカイロ代わりに抱え、公園のベンチで熱さに口を踊らせながら食べるという体験は格別だし、印象深い。
でも別にそれが、石焼き芋を夏に食べてはならないということはならない。神様はそんなこと禁止なんかしてない。好きなときに好きなものを食べる自由が人間にはある。それを売る自由も。まあ需要の寡多はあるかもしれないけれど……。
そういえば昨日、読書感想文を書いたのだけれどめっぽう疲れた。日記は自分の思考を並べ立てればいいのだけれど、本の感想となるとそうもいかない。あまり本の内容と異なることを言うわけにもいかない。でも自分は、知らず知らずのうちに自分の中に生まれた感情を綴ることを優先してしまい、そしてそれは本の中で書かれている主張とは外れてしまう場合がある。自分の中で結構恣意的に読んでしまっている。
結局、自分の感じたことと本の内容の中間地点を見出すようにして、感想のようなものを書いていた。読書感想文の書き方が間違っていないか?本に対して誠実な態度とは言えないような気がする。読書感想文の体を成すのであれば、本の内容が主で、自分の思考が従であるべきのような気もしてくる。
しかし、本を読んで自分の中に生じた感情もそれはそれで嘘ではない。自分がどう思ったのかを綴るのが感想文なのであれば、それが本の主張と異なっていても構わないはずだ。全肯定だけが感想ではないのだ。自分は感想をいうときになんでも「とても面白かった」と言ってしまいがちなので、そのことを時折忘れてしまいそうになる。
なので、昨日の読書感想文は日記の延長線上のような書き方になった。少なくとも本の中の主張として取り上げる部分が間違っていてはならないので、そこは引用等で補いつつ、自分の思ったことを綴ることにした。日記でも大抵そういうことをやっているので、あまり普段と変わらないかもしれない。でも一冊の本に対して向き合うことが、その本を経て自分に何が残ったのかを整理する上でも重要な行為であるようにも思える。
「ショートショートnote」も届いたのでやった!
まず思ったのが、お題カードがめちゃくちゃ多い。箱の裏側をみると200枚とか書いてある。この中から組み合わせてお題を考えていくので、お題が尽きることはなかなかなさそうである。
引いたカードがこの5枚。この中から2枚を選んで組み合わせて、お題とする。昨日は「株式会社ゾンビ」とした。ゾンビというワードが強すぎる。そこに組み合わせて奇妙な響きになる言葉がどれかを考えて、お題に設定した。
制限時間カードも引いていたのだけれど(5分だった)、全然間に合わなくて延長した。同梱のルール説明にも、話し合って自由に決めてもOKですと書いてあったので、そこに甘えた形だ……。自分一人の脳内会議は全会一致で制限時間の延長を決定した。自分に甘いので……。
今思ったのだけれど、自分はボードゲームを一人でやっているようなものじゃないか……?そう思うと途端に寂しく感じてきた。今度友人を誘ってやろうかな。誰か書いてくれる人いるかな……。
かなり見切り発車で書きはじめても、書いているうちに自分の中で着地点のようなものが見えてくるのが面白い。その着陸のさせ方をもうすこし滑らかにしたり美しくしたりしたいものだけれど、そうなるまではなかなか遠い気がする。また今度やってみよう……。
無骨な瓶の見た目が気に入ってしまって買ったラムネ(薬品の瓶みたい)。消費するのになかなか時間がかかりそう。
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