日記:予知能力者、跋扈す
心にストレスが纏わりついて離れないのを感じる。自分で制御できない領域の大きさが増えるたびに、のしかかるプレッシャーは肥大していく。未来がより予測不可能になり、リスクも大きくなっていくからだ。関係する立場の人が増えていくたびに、制御できないリスクも指数的に増大するから、マネジメントが重要になってくるわけで、自分は別にそれが得意なわけでもないので、1人でいろいろとやれたら楽だなあと思ったりもする。そうすればすべてが制御可能になる。アウトプットの天井が自分の能力の限界に連動してしまうけれど。
「能力のなさを責められているなあ」と感じるときと、「やるべきことができていないことを責められているなあ」と感じるときがある。表立って糾弾されるわけではないけれど、スケジュールは刻一刻と迫る中で、負担が自分のほうに寄ってくると、責任の所在がこちらにあると認識されているのだなあと感じて、つまりは間接的に責められているような気になる。
能力がないことは短期的に改善が見込めることでもないので仕方ないけれど、問題は「自分には能力がないのでその仕事は振らないでください(あるいはサポートをつけてください)」と言い出せないことにある。なぜかというと、能力がない故に見積りをする能力もなく、それが自分に達成可能なタスクかどうかもわからないからだ。だからとりあえず着手しはじめて、途中で「ヤバいなこれ」と悟る。そこでアラートをあげると「なんで最初から言わなかったんだ」みたいなことを間接的に糾弾される気もして言い出せない。そして陥る悪循環。
だから解決策は、とにかく気づいた段階でアラートをあげるということになる。できないなりに未来を予測していくしかない。
そして、やるべきことをやっていないという状態の場合は、自らの怠慢もあるのだけれど、多くは自らの処理能力を超えてやるべきことが溢れてしまう点にある。だからこれも、キャパシティから溢れてしまったと気づいた段階でアラートをあげるべきだ。自らの能力のなさを詳らかにすることを恐れてはならない。そのまま放置していたほうが大変なことになる。
仕事とは、予測できない未来を、あれこれと理由をつけて予測可能な状態に落とし込むことなのかもしれない。それを考えると、世の中の人間はすべて予知能力者で、それは自分には到底辿り着けない領域にも感じられる。
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