日記:朝早く起きる

日記を朝に書いている。用事があるので早く起きているが、改めて朝が苦手であることを実感する。朝早く起きる理由は大抵動かせない予定があるからだけれど、自分はその不自由さが苦手なのではないかと思う。ある程時間に余裕があれば、ゆっくりと起床していくつか作業をこなして一息ついてから予定に取り掛かってもよい。そこには充分な時間に担保された自由がある。対して、予定が詰まっているとそうはいかない。必要に迫られて目を覚まし、遅れてしまうかもしれないという恐怖を抱えながら準備を進める。自分が望んでそれをするのではない、予定という動かせない未来が自らを衝き動かす。それは仕事のようなもので、どうしても心の重さを取り払うことはできない。

まあ、朝早く起きれば解決することではあるのだけれど。


珍しく早く起きたときに感じるのは、世界は思ったよりも早く動き出しているということだ。以前、陽が登るかどうかという時間に家を出たことがあるけれど、通りがかった駅前の和菓子屋から米の炊ける匂いがして、生活はとうにはじまっているのだということを思い知らされた。自分が眠っているような早朝や深夜に働いている人がいるからこそ、この社会の恩恵に浴することができる。当たり前のように存在している社会はそのような形を成している。普段は忘れているその事実に気づくとき、自分の罪を暴かれたような気がして居た堪れなくなる。

あともうひとつ、朝が早いと1日が長いと感じる。実際には眠気も早く訪れるから実際の活動時間はそんなに変わらないような気もするのだけれど、それでも1日の終わりの数時間は「もう1日も終わりか……」と何もできなかった自分への絶望に包まれながら過ごすのが常であるので、それに比べれば「今日は何をしようかな」と期待に胸を膨らませながら過ごす午前中の数時間のほうがずっと有意義に感じられる。なお、これは何も予定がない日に早く起きた場合に限られるのであって、必要に迫られることなく早朝に目を覚ますことは自分にとって数年に一度の偉業であるので、そんな素晴らしい時間の使い方をしたことはこれまで滅多にない。朝の時間を有意義に過ごすのと同じくらい、惰眠を貪ることの快楽もまた、自分には甘美な贅沢に思える。

1日を有効活用しようと、あえて朝一番の映画を予約しておいて、無理やり早く起きるということを試みたことがある。しかし結局は映画を見終わったあとに眠くなってしまって、帰ってから午睡に甘んじてしまうので、1日の活動時間はそう変わらない。だから朝の時間を有効に活用するには、生活そのものを朝型へとシフトさせる必要があるのだが、その試みも今まで何度も実行に移されては潰えている。自分は夜から逃れられない人間なのかもしれない。

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