日記:物語の中で恋が成就しなかった人物に自分が抱く感情ほどどうすることもできないものはない
毎週日曜日は競馬を見るようになってしまった。ウマ娘の影響です。まだ競馬のことは何もわからないけれど、わかる人が語っておられる熱狂をわけてもらって、その面白さを享受している。
今日はオークスというレースで、先日桜花賞を制した白毛馬のソダシが無敗のまま2冠となるか、という点が注目されていた。白毛の馬は珍しいらしく、大きなレースで勝利を挙げたのはソダシが初だったのだそうだ。ちょうどそのレースあたりから競馬を見始めるようになって、白く輝く馬体が熱戦を制する姿に大きく心を揺さぶられた。
競馬には歴史があって、それは時に大きな壁として立ちはだかる。先達の偉大な記録だったり、あるいは前人未踏の領域であったり。それに立ち向かい、打ち破らんとするその姿に眩しさを覚える。勝つためにたくさんの存在の想いが注ぎ込まれている。それがぶつかり合うのがレースという舞台で、その一端を自分は垣間見ている。
今日のオークスを制したのはユーバーレーベン。数多の努力があり、それが結実したものなのだと思う。自分はそこに物語を見てしまうし、きっとこれからも夢を託してしまう。何もできず、ただ祈るように。
まだ馬券を買ったことはないです。のめり込んじゃいそうで……。
「恋は光」という漫画を読んだ。全7巻。とても面白かった。
恋する人が光って見えるという大学生・西条。その光が自分に向けられたことがないために恋に対して距離を置いていた西条くんであるが、ある日講義で隣に座った東雲さんという方に心惹かれ、接近しようと決意する。西条くんの昔からの友人である北代さんや、他人の恋人を奪う略奪愛をしてしまう悪癖を持った宿木さんも関わり始め、関係は少しずつ動き出していく。
この作品の登場人物はみな恋に対して思い悩んでいる。
宿木さんは「普通に人を好きになれない、他人が好きになった人しか好きになれない」という葛藤を抱えていて、途中からは「本当に好きになってしまった」ことが常に宿木さんを苛んでいく。
北代さんは、西条くんのずっとそばにいたが故にそれ以上の関係に踏み出すことができず、また西条くんの「光」が北代さんには見られないことが更なる枷となってしまう。
東雲さんは恋とは何かを自分の中で探し続ける。他の人が普通にしている恋という感情について、自分の中で納得のいく答えが見つからない。恋とは何かがわからない。
西条くんは、恋している人が光って見えると言っても、実の所その光の正体はわからない。自分に光を向けてくれる人の、心まで理解できる訳ではないのだ。それゆえに彼も苦悩する。「光が見える」という不思議な事象と、相手に真摯であろうとする彼の性格がぶつかり合う。
それらの悩みに対して、この作品は極めて誠実に向き合っている。常に対話を通して納得に至るまで向き合い続ける。ある意味で非常に静かに、お互いの想いの落としどころを見つけていく。海に向かって叫んだりしない。突然何かに気づいて走り出したりしない。あくまで自分の気持ちを相手に正しく伝えようと努める。その態度が誠実で相手に向き合った結果だとわかるから、辿り着いた結論が望んだものではなかったとしても、それ以外にないと受け入れることができる。西条くんの真摯さが作品を通して貫かれている。
この作品で衝撃だったのは、最終話、最後に結ばれた2人とそれ以外の2人が交わることがないのである。みんな笑っていて幸せに辿り着いた、という話ではない。それは2人がその道を選んだのだという決断を重く描いているからなのかもしれないし、そういう部分に作品の誠実さを感じる。失恋すれば痛みがあるし、恋が成就したからといって全てが祝福される訳でもない。これから歩いていく道があるのだ。人生は続く。
2巻と6巻の表紙がね……すごいですよね……
恋愛を描いた作品では、たとえ主人公がどれだけ誠実であろうと(誠実であればこそ)恋が叶わなかった者が存在してしまう。現代の日本において、恋の矢印がひとところに集まってしまった場合、選択肢は2つ。1組だけが結ばれるか、誰も結ばれないか。そのような恋において、誰もが幸せになる道は存在していない。そこには結ばれなかった者が存在する。
自分はその存在に想いを馳せてしまう。恋はいつも叶う訳ではない。それは現実である。恋が成就した者よりも、しなかった者に対して考えを巡らせてしまうのは、その存在が現実と同じ重力に引かれていると感じるからであろうか。あるいは、作品内では描かれなかったifのルートをどうしても望んでしまうからであろうか。
きっとそう思ってしまうことは傲慢だ。ただ物語を見つめていただけの自分は、その結末に立ち入る権利などありはしない。自分のことを顧みて「たられば」を言うならまだしも、誰かが選んだ選択に対して口出しすることなどあってはならない。そんなことを、作品を鑑賞した後に考えてしまう。
だから、この感情はどこにいくこともない。作中の人物が味わった失恋のほんの一部を追従して感傷を得る。現実であるならそれは友人として慰めることもできようが、物語の外の存在である自分ができることなどありはしない。ただ無力に傷つくことしかできない。
でもな……考えてしまうよな……作中では結ばれなかった人たちのことを……
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