日記:個と視座

なんだかすごい慌ただしい気がする。明日は祝日なのでなんとか頑張っていきたい。

アイカツのことで頭がいっぱいになっている。この世すべてのことがアイカツに連なって思える。でもあらゆる事象はどこかで連続しているので、突き詰めていけば同じところに辿り着くのも道理かもしれない。シャニマスのストーリーをひたすら読み進めていたときはこの世のすべてがシャニマスに思えていた。

アイカツは基本的に、作中のアイドルはセルフプロデュースでアイドル活動していくので、要は「自分で自分をどうしていくか」という問いに帰着していくように思う。その中で仲間やライバル、支えてくれる大人やファンとの関係性も描かれていくが、主眼が置かれているのは個人の意志である気がする(アニメを見たのがもう随分と前なので、自分の勝手な解釈が多分に含まれていると思うが)。

最近は「個」の物語が増えた、という言及をどこかで見た気がする。仲間と一丸になって勝利!みたいな物語から、「仲間」として括られていた人々のそれぞれに目が向くようになったのかもしれない。あるいは自分がそういう見方をするようになったというだけで、世の中のトレンドはそんなに変化していないのかもしれないが。

『鬼滅の刃』も、受け継いでいく物語ではあるが、しかし受け継いだものをどうするのかという個人の視点に目が向けられていたように思う。『呪術廻戦』も、呪術師に向き合うそれぞれの視座の違いが興味深い。与えられた役割はあって、でもそれをただそのまま受け入れるのではなく、懊悩の末に落としどころを見つけて受容していく。その過程に、自らの悩みを重ねることもあって、それが作品を受け取る人々の心を支えているのではないか。

と思ったけどやっぱり自分がそう考えるようになっただけかもしれない。個人の視座なんて描かれない作品のほうが少ないし。日々たくさんのものを作品から受け取っているので、自分もどうにかして自分の毎日を生きていきたい。

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