日記:傘が消えた日

今朝は鈍い色をした曇り空で、天気予報は見ていないもののそのうち雨が降り出すことが予想された。長傘を持って出れば電車の手すりにでも引っ掛けて忘れてしまいそうだから、鞄に入れたままの折り畳み傘ですませようと思い家を出ることにした。会社の最寄りに着いたときには、傘をさすまでもないくらいの弱い雨が降っていて、しかし多少なりとも濡れたままオフィスに入っていくのも躊躇われたので、折り畳み傘を取り出して広げた。

昼食へと外出しようとしたときには雨がおさまっていたが、それでも歩いている途中で降られたりしても嫌なので折り畳み傘を持って出ることにした。出社するようになってから頻繁に訪れる𠮷野家(ポケ盛が目当てである。今日はルカリオであった。これで3回目)でいつものように昼食を終え、いつものように店をあとにした。

仕事を終えて帰宅しようとしたとき、傘がないと気付いた。

しばらく思考を巡らせて気付く。𠮷野家である。カウンター下に折り畳み傘を置いたところまでは記憶がある。しかし持って帰ってきた覚えがない。

𠮷野家へと急ぐ。弱い雨が降り出していたが、それを遮るための術をいまの僕は持たない。

店に入り、店員さんに尋ねると、優しく応対してくださった。「こちらですか?」と差し出された傘は、しかし見慣れたそれではなかった。どうやら、自分は傘を失くしてしまったらしい。


そこまで思い入れがあったという訳ではない。強いて言うなら、まだ購入してから半年ほどしか経っていなかったので、少し勿体なかったなと思うくらい。元より、そこまで自分の持ち物に執着があるという訳ではない。そう思っていた。

不思議と自分は落ち込んでいるようだった。自分が落ち込んでいるという事実が、さらに気分を暗くさせた。傘ひとつ失くしたくらいで、ここまで気分が下がってしまう自分が嫌だった。その原因が自分の不注意にあるのも嫌で、責めようとしても自分の顔しか浮かんではくれない。何処にぶつけることもできない感情が、逃げ出す場所を求めて自分の中で渦巻いていた。


別に傘を失くしたくらいでそこまで落ち込むこともないじゃないか、と自分でもそう思う。しかしどうしても、その先を想像してしまう思考回路がある。半年間とはいえ、自分と共にあった存在を失ってしまったことは、その時間が自分という存在から剥がれていってしまうようで恐ろしかった。そして、そんな喪失がこれから先も人生を続ける限り待っているのだと思うと、その痛みに耐えることが嫌になってしまうのだった。この先、なにかを得たとしても、それはいつか失われてしまうものでしかない。生まれたものが死んでいくのと同じように、それはこの世の道理である。人間の尺度はそれなりに長い方だから、きっとたくさんの背中を見送ることになるだろう。それが自分にはとても重たく感じられて、だから酷く気分が沈んでいた。傘を失くした自分は、すべてを失う未来のことを考えてしまった。


この痛みを麻痺させるには、不在を埋めてやるしかない。とりあえずは新しい折り畳み傘を探しにいくことにする。いつか別れるそのときまで、今度はちゃんと見届けられるように。

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