日記:零れ落ちていく未来

先日の日記に少し追記しました。博物館と飛行機の話。


博物館に行くような人間になりたい。これはもう、学びを得たいとかそういう目的ではなくて、なんとなくそういうことに憧れるからである。浅はかな理由。

そんなことを思っていたら、博物館に関するニュースが目に入った。

来年で創立150周年を迎える東京国立博物館が、全ての国宝を展示する特別展を開催するのだという。スケールがすごすぎてわからん…………。

三日月宗近とかは知っている(擬人化された姿ではあるけれど)。歴史に疎い自分でも名前を聞いたことがあるのだから、きっととんでもないのだろう…………。

来年が楽しみ…………(iPhoneのリマインダーに登録しておいた)。


そういえば、上野ではゴッホ展が開催されているのだったか。気になるんだよな……混んでそうだよな…………でも気になるな…………。



去年開催されていたロンドン・ナショナル・ギャラリー展ではゴッホの「ひまわり」を見ることができた。

しかしあまり記憶にないんだよな…………(勿体ない……)。普段あまり美術館に行かないから、最後に飾られていた「ひまわり」に辿り着くまでに体力を消耗してしまった覚えがある。無限の体力が欲しい。

慣れる意味でも博物館や美術館に足を運ぶようにしたい。上野に通うか…………。


こんなニュースも目にした。

東京での会期は来年の6月からとのこと。自分が全く知らない世界ではあるが、それだけに興味がそそられる。ドイツやロシアは自分の中でイメージが膨らみ続けているものの、その実態をほとんど知らない。単純に異国に対するミーハーな憧れがある。



そういえば庵野秀明展もやってるじゃん!!!行かなきゃな…………。



目を向けてみるとこの世には博物館や美術館、それぞれの展示がたくさん開催されている。常設展もあるものの、話題になるのは期間限定の特別展がほとんどで、それは逃してしまえば二度と機会を掴むことはできない。

昨日の日記で触れた『恋する寄生虫』という作品の著者である三秋縋さんのことを自分は結構追いかけているのだけれど、以前にloundrawさん(イラストレーターをはじめとしてマルチに活躍されているクリエイターの方)が個展を開いた際、三秋さんの書下ろし小説が個展のグッズとして並ぶということがあった。

そのとき、自分はあまり懐に余裕がなく、予定の折り合いがつかなかったこともあって、ついぞ個展に足を運ぶことはなかった。そのことを時折思い出しては、「行けばよかったな」と苦い後悔が口内に広がる。

でも、意外というか、自分はそこまで引き摺っているという感じではないのだ。蘇ってくる痛みも、時の流れと共によくある挫折と同じように風化していったみたいだ。この世のすべてを経験することが叶わない以上、どうしたって掌から零れ落ちるものは出てくる。毎日を時間がないと嘆きながら過ごしている、単に時間の使い方が下手なだけの愚か者な自分ならなおさら、たくさんのことを諦めなければならない。いつしか、諦めることの方が当たり前になっていたから、そうした痛みにも鈍感になっていたのだと思う。

逃したものに気付かない振りをしている。そのほうが心の安定が保たれるからだ。そうやって押し込めた心の奥底が、それでも叫びを上げるときがある。その声にまで鈍感になってはいけないと思う。傷つくことが怖くて、踏み出すことを辞めていたら、いつかもっと大きなものを失うことになる。それは避けなければならない。しかし、両者の中間で生きることは難しい。それは均衡というよりもむしろ、どっちつかずの曖昧さを許容できるかどうかという話になるからだ。


loundrawさんが監督を務めた映画『サマーゴースト』も見に行かなければ…………。というかloundrawさんの活躍の幅がすごすぎるな…………。

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