日記:日常の起承転結
「水曜日に休みがあると、他の平日がすべて休日に隣接することになるから楽」という言説をたまに耳にして、それには概ね同意なのだけれど、しかし木曜日の昨日はどうにも心が重かった。まるで週のはじまりのように。要は、いつも月曜日に感じていた倦怠感が木曜日に移動してきたのだ。それも「残り2日で週の仕事を片付けなければならない」という焦燥と共に。逆に月曜日は「水曜日休みとか最高じゃん」と楽観していた。自分は希望が前にあったほうがいいのかもしれない。
ところで、文章にはなんとなく起承転結があるなと、今更のように思った。例えば上の文章だと、祝日という日常を「起」として、それに続く自分の感覚を「承」、その正体を「転」、希望として一般化するのが「結」。承転の役割が少し異なるかもしれないけれど、当てはめるとしたらこんなところだろう。いままでは起承転結の概念をもっと大きな枠で捉えていたのだけれど、しかし1段落の文章でもその構造はちゃんとあるなと感じた。自分がなんとなく「文章のリズム」として感じていたものの正体なのかもしれない。
そんなことを考えたのは『ジョジョの奇妙な冒険』などの作者で知られる荒木飛呂彦先生の新書を読んでいたからだった。
日常のあらゆる事象から起承転結を見出し、物語を発想する。そういう視点が、斯様な心躍る冒険を作り出すのかもしれない、と思った。
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