日記:わからないという悪を抱えている

電車の中でシャニマスのフェスアーカイブを見てたら通信制限になってしまった……昨日データ量を確認したら3GB/20GBだったので、まだまだ全然使えるな~~と思っていたのだけれど、今日になって通信制限の通知がきて改めて確認したら、3GBなのはデータ使用量ではなく残りのデータ量だった……それにしても1日で使い切ってしまうのはどうかと思うが……

昨日も書いたように、いろいろとやりたいことがあって、そのどれもが時間制限つきなものだから「わ~~~~~~~」となっている。タスクの配置がよくないね……とはいえ世界がそういう風に動いているので仕方ないのかもしれないけれど…………。

同じ締切の作業が重なってしまうことはままある。そうならないようにマネジメントを回すべきなのかもしれないけれど、しかし突発的な作業の発生が繰り返したりすると、次第にしわ寄せが寄ってきてしまって、取り返すことができなければどこかで崩壊する。どうしたらよいものか。

わからんね…………(無責任)。

見積もりがちゃんと収まる範囲で作業を回しなさいよということなのかもしれない。しかしその見積もりが難しかったりする。じゃあその見積もりの精度を上げていくにはどうすればいいんですかという話になって、まあいろいろとプラクティスはあるわけだけれど、結局は経験から還元されるものを高めていくという話になるのかなという気もする。要するに、やっていくことをやっていくしかないんですね……。

自分はどうすればちゃんと部屋を片付けられるんでしょうか…………?

うーん……わからんね…………。


わからんことを、わかっていくということをしていくのが人生だったりするのだろうか。つまり人生を続ける限りわからんことは存在し続けることになる。

わかることを正義として、わからないことを悪とするのなら、人はいつだって悪性を抱え続けることになる。そして悪であることをもって人を糾弾するのであれば、すべての人は裁かれるべき罪人である。

しかし実際には糺される者とそうでない者がいる。つまり、「わからない」にも種類があるということだ。責められるべきものと、そうでないものがある。そして前者の対象となる領域の知を指して「常識」と呼んだりする。

人類の叡智は拡大を続けているわけで、常識の範囲も留まることを知らない。知ってて当たり前のことは日々変わり続けていて、常識的であるためにはそれを吸収し続ける必要がある。それにしたって限界があるわけだし、オールジャンルにおいて常識を備えている存在などいないのだから、人は誰しも非常識な部分を抱えていることになる。

だから、糺されるべき悪を持っていたとしても、人はそういうものなのだと思う。それによって裁かれることもまた、仕方のないことなのかもしれないけれど、悪であるからといって駄目というわけでも、ないのだと思う。

駄目な人間の自分はそんなことを考えます……いつにも増してふわふわとした話になったな……。

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