日記:パズルのような日々を

麻雀をしていたので日記を書かずに寝てしまいましたね……4週連続ですね……。

00:00-23:59の間に書けば良いかと思っているけれど、この調子だとそのうち逃しそうで怖い。連続投稿を途切れさせたくないという心の重しは日に日に増していく。とりあえず1年は続けたいですが……。

それでもこの日記は今のところ50日は続いていて、それも日々スキをしてくれる方々のおかげだなあと思っております。顔の知らない誰かであっても、noteというwebサービスの機能に組み込まれた高評価の仕組みであったとしても、それが精神の炉心に火を灯してくれるのは確かで、そのことを非常に有難いものだと感じる。この文章も誰が読んでくれているかはわからないけれど、それでも自分はこの日記を、自分に宛てたものだけではなく、誰かに何かが伝われば良いなと思って書いているのだと思う。そうかな?そうかも……。

でもそれを表立って意識するのもなんだか恥ずかしくて、表面上は自分の思考の整理のためとかそういうエクスキューズを伴って日記を綴っている。そうやって心の中の煩雑とした思考が整頓されたものに組み変わっていく効能は確かにあるのだけれど、それでもやっぱり、日々を過ごしていく中で折り重なっていく精神の思考の堆積を共有することで、誰かとつながっていたいという欲求は必ずあるのだと思う。

そして、そういう内面の吐露は、顔を突き合わせて話す相手とは意外なことにあまりできなかったりする。まず、その行為には、自分の中に無意識のうちに構成されている思考の連なりを一つ一つ言葉にしていく必要がある。それは会話におけるコミュニケーションというよりも、文章によって静かにゆっくりと組み上げていく姿勢の方が向いているのだと思う。ある程度のテンポが求められる対面での会話においては、その場で論理を組み上げていく時間はあまりなくて(それができる人もいるけれど)、どうしてもその時に心の中にある言葉を引っ張り出すしかない。

文章という媒体は、書き手と読み手の間に非同期性があり、読み手が解釈にかかる時間の中で文章を書き上げる必要は全くない。むしろ、読みやすい文章を作るのには、論理の構成や具体例の提示などを考える必要があり、慣れていなければそれなりの時間を要する。

ちなみに、自分は読みやすい文章を書くという練習を全くもって積んでいないので、この日記もとても読みづらい文章になってしまっている気がする。すみません……。この段落もそうなんですけど、トピックがあちこちに飛びすぎなんですよね……。思いついたことを全て書かなければ気が済まないというか、その結果論理の重心がどこにあるのか非常にわかりづらくなってしまっている。改善したいなあという意識はあります……あるだけ……。

話を戻すと、要するに文章というメディアは自分の内心をつらつらと綴っていくのに向いていて、そういうものを共有する場所って、意外と近しい間柄でもなかったりするから、note的な場所でそれらを書くことは、いいことなんじゃないかなあとかそういうことを思います。結論がふわっとしすぎている……。



日清の「つけ麺の達人」、めちゃくちゃうまい……。自分がそんなに舌が肥えているわけではないからかもしれないけれど、いわゆるお店で食べるようなつけ麺の味がして衝撃だった。最近はラーメン屋さんに行くこともあまりないので、久しぶりに魚介ベースのつけ麺を味わうことができて嬉しかった。いや……うまかったな……。



そのあと、知人と昨夜の麻雀の牌譜検討をしていたらこんな時間に。何事も先達はあらまほしきというのはその通りで、今の自分に何が足りていないのかを実際に対局の手順を追いながらマンツーマンで教えてもらえるというのは非常にありがたいことだなあと思う。

牌譜検討は、その過程で自分の駄目な部分と向かい合わなければいけないわけで、自分のような虚弱な精神の持ち主はその過酷さに耐えられなかったりする。「この手順はよくなかったかな」と言われても、それが手順の指摘であるということはわかっているのだけれど、それ以上に自分という存在が否定されているかのような錯覚に陥る。そういう、我が身を振り返る行為が苦手なんだなあと思う。

とりあえず今日教わったことは、「5ブロックで待ちが完成しているのなら、不要な真ん中の牌は危ないので先に切っていく」「三色、一気通貫、混一色+役牌等の役を意識するようにする」ということ。その裏にある考え方もいろいろ教わったのだけれど、なかなか飲み込むことができなかった。がんばろう……。



最近、パズルをやりたいなという気持ちがふつふつと湧き上がってきて、App Storeで目についた「Woody Puzzle」というゲームを遊んでいる。スマホで遊べるパズルゲームにもいろいろあるけれど、例えばツムツムのようなリアルタイムで素早く操作する必要のあるパズルではなくて、一手一手をゆっくりと考えることのできるタイプのパズルをやりたいと、不意に思ったのだった。

画像1

パズルのピースが3つずつ与えられて、それを10×10のマスに配置していくゲーム。縦か横か、一列揃えばそのラインは消える。与えられたピースが配置できなくなったらゲームオーバー。上の画像だと、右2つのピースは配置できるのだけれど、左の3×3のピースが(おそらく)どうやっても配置できないので、ゲームオーバーとなる(なった)。

攻略の糸口はなかなか掴めていないのだけれど、これはうまく後続のピースが配置できるように綺麗に並べていくことが重要なのだと思う。そしてそれを、牌の受け入れる形が広くなるように手牌を作っていく麻雀の思考回路と少し似ていると思った(考えが麻雀に支配されている)。

安易にその思考を敷衍してみれば、人生とは限られたリソースをどのように配置していくのかという組み合わせを考えるパズルのようなものだ。それを考えていくための変数は多種多様で、それらの前であたふたとしているうちに自分の少ないキャパシティはあっという間にいっぱいになって、何もできなくなって終わってしまう。今日も気付けば土曜の午後5時である。人生という名のパズルを解ききる日がいつか来るのだろうか。それは自分には難しい気がするので、とりあえずはパズルを解く過程を楽しんでいけたらいいなとは思う。

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