日記:情報との距離感
今日はDisney+で『アイアンマン3』を見ながらポケモンを進めるなどしていた。ポケモンは一応クリアはしていて、あとは結構時間のかかるタスクになりそうなのだけれど、好きなポケモンを連れてフィールドを歩いていくのが楽しいのでゆっくりと進めている。攻略情報もあまり調べないようにして進めているのだけれど、ポケモンの進化の条件がわからないときはどうしても調べてしまう。過去作には「特定のアイテムを持たせた上でアナログスティックを一定数回転させる」という進化条件のポケモンもいたりと、わからないものはわからないようになっている。
自分が今作で連れていたヌメイルというポケモンも、条件がわからずクリア時点でも進化しないままだった。このポケモンは過去作にも登場しているのだけれど、今作では異なった姿で登場している。そのため、進化条件も複雑になっているのかもしれないと推測していた。しかし条件を調べてみると、どうやら条件は過去作と同じらしい。単に自分の知識が足りていないだけのようだった。
ヌメイルはこいつ↓です。かわいいぜ……。
ポケモンの過去作については、ニンテンドーDSで発売された「ブラック2・ホワイト2」のあたりまでは熱心にプレイしていたのだが、それ以降の「X・Y」より後になると、ストーリーを一通りプレイはしているのものの、細かい点については記憶が曖昧なところがある。最近のポケモンがどのシリーズに登場したかどうかもあまり覚えていない。先述のヌメイルというポケモンが初登場したのは「X・Y」で、ちょうど記憶が曖昧なところになっている。プレイした当時は捕まえて旅に連れていたということもなかったので、その進化条件が頭に入っていなかったのだった。
しかしこういった条件は、自分の中では調べるのにあまり抵抗がない情報なので、わからなくなったらすぐに調べてしまう。偶然見つけられたら嬉しいのかもしれないが、そこは諦めてもいい部分ではあるかなと思う。
ポケモンのストーリー部分を進めていたときは、あまりインターネットを見ないようにしていた。インターネットの住民の進行速度には追いつくことができなさそうであったし、少しの間情報が遮断されることを引き換えにしても、自分で進めていくことの体験を大事にしようと思ったのだった。
ほかにも、ソシャゲのシナリオが更新されたときなどは、自分が読み進めるまではTwitterなどを開かないようにしている。先入観をできるだけ排除した上で作品に向き合いたいと思うのは、自分だけの感覚ではないだろう。
しかしプレイしたあとは感想を話したくなる。それが魅力的なストーリーだったり、衝撃的な展開だったりすれば尚更だ。しかし、感想を話したいストーリーというのは、そのままネタバレをしたくないストーリーでもあったりする。自分が味わったこの感覚を、そのまま相手にも味わってもらったうえで、その素晴らしさを語り合いたいからだ。
そうなると難しくなってくるのが、作品を人に薦めるときである。非常に素晴らしいシナリオなのでぜひともプレイしてほしいのだが、しかし薦める理由を挙げるとそれ自体が先入観を与えてしまう。核心部分をネタバレしてしまうことはもってのほかだが、ある程度魅力的な部分を匂わせるだけでも、察しのいい相手には伝わってしまうところがある。そう考えていくとどんどん何も言えなくなってしまい、しまいには「ガルパンはいいぞ」といった曖昧な薦め方しかできなくなってしまう。だっていいんだもの。
ある程度趣味が似ているとわかっている相手ならば、「お前ほどの者がそこまで言うのならきっといい作品なのだろう」と、何をいわずとも触れてみようとするのだが、しかし「この人はきっとこの作品が好きだろう」と思って薦めた作品が、その時点ではうまくハマらなかった場合、非常にもどかしい気分になる。絶対に嵌ると思うからなんとかして背中を押したいのだが、その押し方を誤ってしまうと心地よく嵌ってもらえない場合がある。下手に情報を出し過ぎてしまっても、その作品の受容の在り方を歪めてしまうことにつながりかねないからだ。期待を煽り過ぎてしまってもよくないし。だから、固唾を飲んでその場は一歩引くしかない。うまく情報を伏せながら相手を惹き込むプレゼン能力があればよいのだが、自分はその能力に乏しい気がしている。どの情報もネタバレに思えてしまって、何も語れなくなってしまうことがほとんどだ。
そういう葛藤があって、昔はあまり人に作品を薦めるということをしていなかったのだが、最近はあまり気にしなくなった。これはもう自分の完全なエゴで、相手に先入観を与えてしまうリスクよりも、自分がその作品について語れる相手が増えるかもしれないというリターンを天秤にかけて、自分に生じるメリットのほうを取るようになったというだけの話である。核心となる部分に触れないのであれば、あとは自分と同じ沼に相手を引きずり込める可能性があるのなら、好きなものについて語っていくに越したことはないのかなと考えている。そうやって実際に同好の士を増やすことができたときは格別の喜びがあり、また自分が他人に作品を薦められて沼に落ちていくということもあって、とりあえずそれを繰り返していけば飽きることはないなと思ったりもする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?