日記:矛盾している試み

何か変わったことがあった日はいいのだけれど、特に何もない平穏な日というのは日記を書き始めてもしばらく手が止まる。「何かあったかな……」と1日の記憶を辿る時間を過ごすことで、ようやく今日の出来事がよみがえってくる。それでも、日記に書き起こすことのない事柄だってあるわけで、自分の身体には思ったよりも膨大な時間が流れているのに、それを有効活用できず無為に過ぎていく日々を思うとどうにもやるせない。ただ流れていく時間の濁流を少しでもせき止めようとして、そこに引っ掛かるものが僅かでも残ってほしいと思いながら日記を書いている。半分は祈りのようなもので、もう半分は自分でもよくわからない。それが腑に落ちるか理解をあきらめるかするまでは日記を書いていようかなと思う。

眠いぜ……。

日記、そろそろ180日になるっぽい。毎日、投稿した後に「○日連続投稿!」というポップアップで励ましてくれるのだけれど、その通知のほかには自分がいま何日連続で投稿しているのかを知る術はないので、もしかしたらこの投稿で180になるのかもしれない。要するにだいたい半年くらい続いているわけで、それもこれも日々読んて下さる方々のおかげです。皆様のおかげでなんとか続けられております。そして、日記を書いていられるということが、自分は本当に嬉しいのです。

何かを続けることに理由を探してしまう。現代社会はなにかと忙しなくて、無為に時間を過ごしていると知らず置いていかれそうな恐怖がいつもそばにある。自分に自信がない僕は、続けていられるだけの理由をいつだって探している。本当はそういうものから自由であるべきで、ちゃんと自己を確立している強い人は、何かを続けることに理由なんて必要とはしないのだろうけれど。自分は誰かが正しいと言うことにしかついていくことができない。

自分の日記が誰かに必要とされている思っているわけではないです。陶酔と怠惰が文章をかなりわかりづらいものにしているし、だからどこまでいってもこの日記は独り言でしかない。日記を続けているのは、やっぱり自分のためでしかない。自分がそうしたいから書いているだけで、もう続けられないとわかったらそこでやめてしまうものでしかない。

でも、そんな自己満足を目的とした行為を、自分ひとりで続けていける強さを持ち合わせてはいなかった。誰かに肯定してもらえなければ独り言も続かないのが自分だ。だからこの日記は最初から矛盾している。誰かに見てもらえなければ続かないくせに、誰かに向けたものを書いているのではないのだから。

自分のためでしかない日記という行為を、他の方々に支えられて続けることができている。こんなに幸運なことはない。でもそれを続けてほしいと思うわけではなくて、重荷みたいなものを背負わせたくはないので、いつでも読むのはやめていいですからね……。いつもいつも読みづらくてすみません……。そして何よりありがとうございます……。自分も他の方が書かれている日記を読んで非常に楽しんでいて、その楽しさの欠片ほどでもいいから何かを感じていただけたら嬉しいなとは思いつつ、基本的にはこれからもほとんど独り言になると思います……。

そういえば、日記を続けて半年にもなるのに、自己紹介記事書いてないな……。語るべき自己なんてないので……。そのうち自己について語ることができるようになったら書こう……。

眠いのでここまで……。

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