日記:自らを救う道
僕はいつでも何だってできると信じていて、その実何もできた試しがない。
人生の可能性について言ってしまえばそれは無限に存在しているわけで、ともすると明日いきなり大金を手に入れて大金持ちになるかもしれない。明日出会う人が運命の人かもしれないし、子供のころから描いていた夢が突然叶うかもしれない。
しかしそれはつまらない妄想の類であるということを、大人になった僕たちは知っている。夢は叶わないし、希望はいつか絶望へと変わる。それが現実だということを、夢から醒めた僕たちは知っている。
つまりは叶わない夢を抱いて生きている自分のような人間は子供であることから脱け出せていなくて、それなのに現実は当たり前のように僕とは無関係に回っているから、どうしようもなく苦しくなる。
夢はいつか叶うのではなかったか。そうかもしれないね。でもそれは、夢に向かって相応しい努力を積み重ねてきた人にのみ当てはまる言葉だ。何もしないでただ願望を零すだけの言葉は、夢ではなく妄想と呼ぶのが相応しい。夢を見るのに資格はいらないが、夢を叶えるのには資格がいる。それは努力であったり才能であったり環境であったり幸運であるのかもしれないが、しかしどれもただ黙って手に入るほど易くはない。幸運のみに賭けるのもいいが、いささか期待値が悪すぎる。なら、自分で歩みを進めた方が合理的だ。
さて、ここで問題になるのは、「あなたの夢は何?」ということ、そして「夢を叶えるための方法を知っているか?」ということになる。夢はただ叶えることを目的とするのではなく、それによって自らが救われるというところに端を発するものであるから、2つの問いはこう纏めることができる。つまり、「あなたは自らを救うための方法を知っているか?」という問いである。
夢ならいくらでも思いつく。しかしすべての夢を叶えることはできない。人生は有限だし、自分のキャパシティだってそんなに大きくはないからだ。だから、果たしてどんな夢が自分を救うものなのだろうかという点について考えてみる必要がある。自らを救う道はどこにあるか?
それを考えているうちにわからなくなって、どこにも歩き出せなくなってしまう。叶えたい夢はたくさんあって、それを自分は叶えることができると無邪気に信じているのであるが、その選択が他の道を捨て去るという事実を思うとデッドロックに陥る。どの夢だって簡単には捨てられない。どれも自分を救うための道であるように思えるからだ。大事なものをかき集めていたら、いつの間にか背負う荷物も増えていた。いい加減、荷物を整理しなければならない。時間は有限であることを、年の瀬が近づいてくるとつい思い出してしまって、だからこそ人は年末にかけて大掃除という奴を繰り返すのかもしれない。
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